一本槍/美というもの/ブログの勢い

Posted at 05/07/12

羽生善治『決断力』を読む。棋士にも羽生のようなオールラウンドプレイヤーがいるかと思えば、加藤一二三などは三十年間棒銀のみだ、という話は興味深かった。棋士会館で取る食事も鰻に決まっているらしく、たまに鮨などを頼むと衝撃が走り、棋界で一日中話題になるという話が面白かった。何かに一本槍、というタイプの人はそれはそれでなんというか好感が持てると思う。先日、加藤九段は「待った」騒動で銀河戦出場停止と該当対局の対局料没収という処分を受けたが、おそらくは集中のあまり無意識でやってしまったのではないかと羽生の話を読んで思った。かえってこの話が加藤という棋士の人となりを表現しているようで、ルールはルールだが、なんだかほほえましく思った。

***

進めている話が向こう側の不手際で滞っていてこちらも動きが取れないというのがひとつあるのだが、それとは別にもう新しい話を一つ動かし始めなければならないと思う。

人の世の美しいものというのは、手触りを持っていなければいけないと思う。倫理学的に、美学的に美しいものを考えても、どうも自分の両の手から美しいものが零れ落ちていってしまう感じがする。さりとて実際のアート、芸術の世界を考えると、あまりに現場的というか、夾雑物が多すぎるような感じもする。私などが考えるとすると、下手をすると社会学的にすらなってしまう感じがして危険だ。

しかし、「美」というものの中に自分にとっての新たな可能性があるのではないかと考えれば考えるほど思えてくる。その中の何に取り組むべきなのか見えているわけではないが。

最近、美しさを感じないものに対する関心が急激に薄れているのを感じる。逆に今まで目に付かなかったものの美しさを感じ始めているという面もあるのだけど。

***

関係ないが、最近gooブログの深夜の時間帯での接続がいやに遅い。ブログというものの接続業者にかなり多くの部分を預けてしまっているということの問題性が、こういう面で現れてくることになる。そういえば、以前はよくジオが落ちたものだった。最近はどうか知らないが、人気が集中してくるとそういうことになるのだろう。gooだけに限っても毎日千件近くブログの登録数が増えていくのを見ると、この勢いというものの凄さはちょっと筆舌に尽くしがたい。このブームが一段落したとき、ネットの世界のありようもまた今では想像していないようなものになっているのだろうと思う。

関係ないが、最近、gooがNTTのやっているサービスだということを初めて知った。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday