ロンドン同時多発テロと東京

Posted at 05/07/08

昨日は七夕。この日はマルコ=ポーロ橋事件の日(「極東ブログ」を参照)で中国が騒ぐのはわかっていたが、世界を震撼させる出来事が起こった。言うまでもなくロンドン同時多発テロである。

ニューヨークのテロのときもそうだったが、こう言うときはどうもぼおっとしてしまって頭が動かず、あまり機敏に反応できない。昨夜の時点ではテレビでは死者2名と報じられていて、あまり大きくなかったのかなあと漠然と考えていた。しかしJrcomを拝見して、それは認識が甘いということがよくわかった。イギリスは、IRAのテロが半ば恒常的に続いて来た国だけに、テロ対策、特にその事後の危機管理には長じているということのようだ。警察発表も徹底してパニックを防ぐために被害を少なめにやり、報道機関の取材の進展状況と同時に小出しに実態に近づけていくようにしているのだろうか。

次の標的はわが国だ、と指摘する方も多いが、どうだろう。大都市はオリンピックもやるしテロもある。チェチェンがらみのテロが多発するモスクワも、昨年の列車爆破のマドリッドも、911のニューヨークもオリンピックの候補地となったことは何やら象徴的だ。パリ・ベルリンは政策上大丈夫だと思うが、日本はどうなのだろう。

しかし40代以上の人にとっては、東京も過激派テロの多発する町だったことはまだ記憶にあるだろう。同時多発テロの元祖ももちろん地下鉄サリン事件である。今までも東京は、決してテロと無縁の都市ではない。

オウムは革命幻想に取りつかれてのことだが、アルカイダの幻想はいったいなんなのだろう。大都市という人の集まる空間があり、無差別テロというものがこの世に現われてしまった以上、ある奇怪な思想を持った集団が何かをやろうとしたら人間の生活空間というものは極めて脆弱なものだといわざるを得ない。イギリスが危機管理に長じているとはいえ、危機そのものを防ぐことはできなかった。人の心に巣食う魔物を根絶することは、人間が生存する限りは無理なのだろうと思う。

最終的に、人の敵は人だ、ということになるのは悲しいことだが、対処方法も硬軟取り混ぜ(軟といってもテロリストに妥協せよということでないことはもちろんない。テロリストが生まれる土壌そのものを変える対策ということである)何とか探っていくしかない。アメリカ中心の優勝劣敗を事とした世界そのものが、ある人々の呪詛や怨念を作り出していることは否定し得ない。世界全体の共存共栄の思想がなければどうにもならないだろう。大東亜共栄圏でなく、地球共栄圏である。

まだ今回のテロの全貌は明らかでない。それが姿をあらわすに連れ、「国際社会」というものがどのように今回の事態に対応しようとするのか、ということも姿をあらわしてくるだろう。それがどちらの方向に行こうとするものなのか、よくわからない。

ただ、世界がより悪くならない方向に動いてくれることを願うしかない。それがどのような手段・方法によってなされるべきか、今は断言し得ないが。

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