花の切り口を腐らせないためには/我にことたる山の井の水

Posted at 05/07/07

朝食後図書館に本を借りに行くが、貸し出しカードを忘れたことに気づき借りるのをやめる。図書館近くの料亭の玄関先に夏椿が咲いていた。枝にはもう余り花がついていなかったが、木の下には開いたままの花がたくさん落ちていた。しかし椿や牡丹のような不吉な感じはあまりせず、落ちてもなお咲いているという風情だった。

図書館には平林たい子の蔵書が収められた一角があるのだが、その本をいくつか手にとって中を読んでみると、この女流文学者がどんなことを感じながらこれらの本を入手し、そして読んでどんなことを考えたのか、いろいろ想像がめぐらされる。私は平林の本は実は何も読んだことがないのだが、ここの蔵書はタイトルを見たり中身を少し読んだりすることが多い。彼女の生きた時代のトータリティが感じられて、さまざまに興味が湧く。

駅近くの書店を物色し梅原猛『天皇家の"ふるさと"日向をゆく』(新潮文庫)を買う。単行本で出ていたころから興味はあったのだが、手に取らなかった。こうして文庫で出されると、買ってもいいかな、という気になる。

文庫本を持って駅裏の古い屋敷を改造した喫茶店へ。ここではいつも『芸術新潮』が置いてあってそれをよく読むのだが、最近芸術新潮はせっかくのいい写真に変な自己主張の強い太い字のコピーを配したりしていて、辟易していた。そのせいで最近はあまり読まなくなっていたし、それもあってこの喫茶店にはあまり行かなくなっていたのだが、今号は日本民芸館の特集で、さまざまな見事な作品の写真が、なんのてらいもなくどーんと載せられ、余計なコピーが一切ついていない。(キャプションはあるが)実に清々しい。ぜひともこの路線を続けてもらいたいものだと思う。

民芸の創始者柳宗悦と茶道各流派はかなりぎくしゃくした関係にあったようだが、武者小路千家の人が柳を評価している文章が興味深かった。

「花の切り口が腐って行くように、利休の切り口も膿んでくるわけですから、そのときはまた違うところを切って新しい水を吸い上げなきゃならない。利休の切り口を死守することに躍起になったところにお茶の形骸化があるんです。…民藝についても同じで、柳の切り口だけを守りつづけるのはどうかと思います。」

まさにその通りだと思う。お茶のことはよくわからないが、民芸館も沖縄の分館に行ったときは建物の作り自体に感動したが、駒場の本館はあまりたびたび行く気にならない。そのあたりの柳教的なところが、どうしても気になってしまうのだと思う。

関係ないが、西行の以下の一首を見つけ、ちょっと感動。恐らく以前目にしたことはあると思うのだが、あまり深く味わったことがなかった。

 浅くともよしや又くむ人もあらじ 我にことたる山の井の水

ことたる、という言葉が、単純な言いかただが、美しい、と思う。

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by Luke Peterson

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