人の足元を見る社会

Posted at 05/06/30

昨日は忙しかった。仕事がいくつも重なって、しかも普段余り使わない頭の筋肉を使った感じである。仕事のサイトの作成などもしていたのでちょっと疲れがたまった感じだ。

そのせいか、今朝は四時半ころ目が覚めてしまった。外は大雨。この部屋は2階で、雨音がかなり大きく聞こえる。喧しく聞こえるほどの降りというのは久しぶりだ。一時雨は弱まっていたのだけど、この日記を書き始めてからまた強くなった。

仕事が忙しいときは、ろくに書くことがない。

『紳士靴図鑑』を読んでいる。私は靴というものにあまり関心はなかったが、というかかなりひどい靴をはいていることがままあったのだが、こういう本を読むと足元の身だしなみにもっと気を使わないといけないと思わされる。

靴といえば本場はこれもイタリアのようだが、ホテルやレストランでも、従業員はまずすっと足元を見るのだという。どういう靴をはいているか、でどういう客かを判断するというわけだ。これは道ですれ違う際などもそうで、いい大人で汚れたスニーカーなどはいているとすりかっぱらいの類と間違えられて避けて通られたりするのだと言う。

ヨーロッパは今でも階級社会だ、と言うことのかなりはっきりした指標が靴だ、と言うことらしい。文字通り「人の足元を見て」暮らしているわけである。

こう言うものを読むと、たとえ日本にいるとはいえ、いったいどういう人が気がつかないうちに私の足元を見ているか知れたものではないと思えてくる。そんなにすごい靴を履かないまでも、きちんと手入れされた靴を履かねばならないと気が引き締まる。

私は靴にあまり関心を持たなかったせいで、なぜ靴屋には5万も6万もする靴があるのか不思議だったのだが、この本を読んでいると10数万、いや数10万の靴が目白押しで全く認識が改まった。時計や小物類もそうだが、私はそういうところに金をかける習慣と無縁だったので、ちょっと知らない世界である。

しかし、時計はともかく靴と言うのは魅力的な世界だと思った。それはやはり、体の一部の形をしているからだろう。そしてそれが、からだ全体を支えている。形のファッション性と履きやすさの身体工学の両立。材質。ハンドソーン。数10万ともなると履かないで磨いて飾って悦に入る人もいるというのもわからないではないが、そこまで行くとちょっとどうかとは思う。

まあちょっと危ない系の話やドラマなどを見るとハイヒールや赤い鼻緒のぞうりに頬擦りする男が出てきてそういうフェティッシュな魅力が女性の履物にはあるが、男の履物はそういう感じとは違う。私は御免蒙りたいが、チャップリンのように、食べ物に困って食べてしまったりする例もある。あれはギャグに過ぎないと思っていたが、藤子不二雄の書いた毛沢東の伝記漫画で、長征中に食べ物に困った共産党軍で毛沢東の食卓に調理した革靴が出てきた話があった。

まあいずれにしろ、足元で妙な評価をされないように、気をつけていきたいものだと思ったのだった。

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by Luke Peterson

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