ファッション右翼とファッショ左翼

Posted at 05/06/28

ふと感じたことだが、最近「右翼」が流行っているのだろうか。昔は「ファッション左翼」というものがあったけれども、最近はブログなどを読んでいても「ファッション右翼」とでもいうべきものがかなり出てきている気がする。

ファッション、というのはつまり深い思想性があるわけではなく雰囲気とフィーリングがかっこいいと感じてそれを取り入れる、ということだけれど、普通の意味での思想性と言う点では小難しい理屈が比較的少ない点で左よりは右の方が楽かもしれない。ナショナリズム、というだけなら思想として必ずしも豊かでもないから気取ることは比較的容易だ。

もちろん、その奥にある日本精神とか神道の文献とかそういうものに深入りしていけばそう簡単にファッションで済ませられないところにすぐに行き着く。左翼もセクト性が強くて無数のセクトが存在するが、(本来の)右翼に至ってはほとんど一人一党の状態らしく、何が本流とか言うことは見定めることは非常に困難である。

逆に言えば、何が正しいのか自分で考えなければならないのだが、精神的・思想的なものに入っていくと陽明学的な思想よりも行動を重視する思想とかにもすぐ突き当たるし、なかなかファッションだけで行くのは大変だろう。

右翼といえばファッションというよりファッショではないか、というかもしれないが、もちろん現在ではむしろ左翼勢力(あるいは近隣諸国)のほうがファッショ的であることは言うまでもない。

いずれにしろファッションでどちらかを気取るということより、それぞれの思想をもっと自分の中で見定めてみるほうがいいだろう。思想を右左の方向感覚だけで決めようとするのは周りの目を意識しすぎて自分を確定できず流されてしまう危険が多い。

間違っていると感じることに発言していくことは大事だとは思うが、その感覚自体も吟味できるそういう自分というものが確立できるともっと良いと思う。

しかしそれにしても小泉憎しのみを原動力にした「重鎮」たちの「靖国対中配慮」の主張ほどふざけたものはなかなかない。

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