書店をめぐる楽しみ

Posted at 05/06/28

実家の方でやる仕事を東京で片付けようと思って持ってきていたのだけど、なかなか手につかず、昨夜ようやく始めようとしたらファイルを間違って持ち帰っていたことに気がつき何も仕事にならなかった。アクセスできるはずのFTPサーバーにもアクセスできず、疑問点を積み残したまま帰郷ということになってしまった。今日は夜まで別の仕事でこの仕事に携われないので、明日はずっとこればかりやらなくてはなるまい。さてさて。

昨夜はさすがに我ながら何やってんだと思いがっかりして早めに寝たせいか、あるいはあまりに暑くて寝苦しかったせいか早く目が覚めて、5時前から散歩に出かける。夏椿の花を見に行こうと思っていたのだけど、思ったところにない。さては違う場所だったか。緑道公園のほうに向かって知っている夏椿の木を見るが、地上からはるか高いところにいくつか咲いているだけで、とても写真が撮れない。しかし、沈み残っている下弦の半月と高いところに白い夏椿の花を見ていると、それだけで心がしんなりしてくるのを感じる。今朝はなぜか夢の中でずっと関係副詞について考えていたので、眠りが浅かった。トマトとカットパインを24時間の西友で買って、帰って少し眠る。

昨日は軽く昼食をとった後、書原めぐり。まず日曜に行きそこなった新橋の書原へ。ここは新橋というより内幸町の方が近いのだが、さすがサラリーマンの町という感じでクールビズなどどこ吹く風、町を行く人ほぼ全員ネクタイ着用である。書店は本が見やすく並んでいて、ああ、こういう本もあるのかという発見が実に多い。大型書店も良いけれど、このようにワンフロアでバラエティ豊かな品揃えの書店は本を探す楽しみというものを味わわせてくれる。グラフ系というか、写真の多い中・大型本に特に充実を感じたが、まだまだ掘り起こせばいろいろ出てくる感じがする。

ここでは平凡社コロナブックスの『紳士靴図鑑ベスト50ブランド』というのを買う。私は今まで靴というものにあまり関心を持っていなかったのだけど、これを読むといかに考えが甘かったかということがよくわかる。人は足元を見ているのだと肝に銘ずる。

新橋駅に戻り銀座線で溜池山王、南北線に乗り換え六本木一丁目の泉ガーデンへ。ここの一階に書原の六本木店が入っている。泉ガーデンは六本木ヒルズなどと比べるとこじんまりしているが、感じはこちらの方がずっといいと思った。ここの書原も、やはり陳列の仕方が工夫されているのか、知らないけど面白そうな本がたくさん目に付く。あれ、と思うところに洋書が並んでいたりして、六本木なのだろう。しかし考えてみると、昔はどの本屋に行ってもそれぞれ個性があって、今まであまり関心がなかったジャンルの本が面白く見えてそれを買って読み、それで世界が広がるということも多かった。今はどこの書店も同じような品揃えで書店をはしごする楽しみというのが少なくなってしまった。書原はそういう昔なら当たり前の、今ではちょっと貴重になってしまった楽しみを満足させてくれる、と思った。

ここでは『aとtheの物語』(ランガーメール)を買う。冠詞の使い方について分かりやすく解説してくれている。結局、全てマニュアル的に処理できるわけではないということが分かってきた。イギリスなりアメリカの文化的背景を飲み込まないと本当に自然な使い方は出来ない。しかし、それは日本語でも同じことなのだろうと思う。

こういう建物はどうもあまり落ち着いた喫茶店がないようで、タリーズやスタバのような落ち着かない店は良く見るのだが、これもひとつの文化なのだろうか。少し探して3階のテソロでフルーツサラダと珈琲でお茶にする。しかしここでも大画面テレビでは経済ニュースを流し続けていて、そういう町なんだなあと改めて思う。まあそれ自体は、多分そんなに嫌いではないのだけど、自分とはあまり縁がなかったことは確かだ。

ブックカバーに乗っている店舗案内を見ると、あとは都心では霞ヶ関にあるということが分かり、虎ノ門に出て霞山ビルの書原霞ヶ関店へ。地下鉄から地上に出ると、見慣れた文部省の建物が解体中だった。目の前にはTOTO本社。あの重厚な文部省の建物を壊して、どのようなビルを建てるのだろう。法務省の建物ほど希少感がないから、保存されなかったのだろうか。

霞ヶ関店もやはり品揃えも配置もいい。一見した感じでは、理工系の書物が多いように感じた。多分地理的な条件もあるのだろう。大型書店では、本の配置というのはある意味で類型化されていて、目当ての本がある場合はすぐそれを見つけることが出来るのだけど、何か新しいもの、何か面白いもの、を探していてもなかなか目に付くようにはなっていない。POPなどで工夫しているところ(文教堂新橋店など)もあるけれど、どうも私などにはあざとく感じられてしまう。

書原の本の配置は、私などの生理感覚とはかなり違う。しかし、違和感があるというのではない。逆に、ああ、こういう本もあるのか、といった発見の喜びがある。今はどんな本でも読みたいという時期ではないのでそんなに本を買うということもないが、本やめぐりをじっくり楽しむには最適な店が多いと思う。

そこではマニュアル化された本の配置によって作り出された書店空間の人工性というものが極力押さえられているように感じられる。本を配置する人の人間性とか狙いとかいうものがこちらにいい雰囲気で伝わってくるのだろう。そういうものが、まだ読みきれているわけではないが、というか読みきれないからこそ、書店探訪の楽しさを味わわせてくれる空間になっているんだろうな、と感じたのだった。

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by Luke Peterson

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