渋滞にはまる/江戸時代の支配思想は何か/ウクライナの大戦果/「ふつうの軽音部」68話:鷹見兄と鳩野の明暗の分れるところ

Posted at 25/06/02

6月2日(月)晴れ

昨日は午前中ブログ/noteを書くのに手間取ってしまい、実家を出るのが12時になってしまった。それでも3時半ごろには自宅に着けばいいなと思って出たのだが、やはり日曜の午後はかなり地元の道も高速も混んでいて、境川PAでご飯を食べたのが1時半、PAを出たのが2時過ぎになって笹子トンネルのあたりからもうかなり車も多く、談合坂の手前から渋滞が始まり、そのままかなりノロノロになった。いつもは石川PAでトイレに入るが早めに行こうと思って藤野でトイレに行ったのが何時だっただろう。小仏トンネルの中でようやく一度渋滞が解消したが、八王寺の料金所を過ぎたら再び渋滞。あとは初台あたりまで混んでいて、山手トンネル勢がいなくなってようやく順調に流れた。あとの首都高は順調だったが、結局自宅に帰れたのは5時。ずっと曇っていて途中でけっこうライトをつけたりした。やはり午前中に出ないとだめだ。日曜にどれか行こうと思っていたコミティアもミロ展もタケウチリョースケ展も結局行けなかった。

家に帰ってたまった郵便物を持ち帰り、処理していたら棟の違う人宛の郵便物があり、どうしようかと思ったが直接届けた。向こうも面食らっただろう。前にもこういうことがあったが、配達の人はしっかりしてもらいたいと思う。それにしても表札に名前を出してない人が多い。これじゃ間違えるかとは思うが、迷惑だなと思うし、自分の郵便物も間違って届けられていることもあるのかもしれないと思ったり。

まあなんだかいろいろあって疲れたが、太陽フレアでオーロラが見えるかもという情報が出て来たので、まあ太陽フレアのせいだ、ということにしておこうかなと思った。まあ昨日は仏滅でもあったのでお日柄も悪かったと。

気分直しにどこかに出かけようと思っていろいろ考えたが結局日本橋に出かけ、高島屋の地下を見たり。いつも買っているコーヒー豆の店をのぞいたら値段が爆上がりしていて思わず笑ってしまう。丸善に行って本を見たがこれというのがなく、日本橋を渡って室町のタロー書房に行っていくつか立ち読み。

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前田勉「近世日本の支配思想 兵学と朱子学・蘭学・国学」(平凡社ライブラリー、2025)が面白そうだった。江戸時代の支配思想は通常朱子学と言われているが本来理を重んじる朱子学は江戸時代の武威による支配体制と折り合わず、むしろ実用的な兵学思想こそが支配思想だった、という話でこれは面白いかもという気はした。買うかどうか迷ったが税抜き1900円で買って読む価値があるかはもう少し考えようとその時は思った。思想的にはちょっと自分と違うところはあるなとは思ったし。しかしどちらにしても読んでみないとわからないところも多いはずだから、今日どこかで買おうと思う。

ぱらぱら見た感じで印象に残ったのは人には役割があってその役割を果たさないのは「役立たず」であると強く非難される、というのはなるほど現代においてもおそらく日本人には強い考え方だなあと思う。新自由主義が強まったせいでそうなったのかと思ったが江戸時代から日本人の底流にそういう思想があると考えると割合そうかもと思えるところはある。「無用の人」がなぜアウトローにならざるを得ないのかとか、江戸時代における公家の屈折ぶりとか、そういうのも考えだすと関係するんだろうなと思う。どこまでその辺が展開されているのかは読んでみないとわからないが、自分が気になったのはそういうところだった。

江戸時代の兵学者で時代に大きな影響を与えたと言えば吉田松陰がいるわけで、彼はもともと長州藩の山鹿流兵学師範なわけである。そのあたりも何か書いてあるのか、読んでみたい。

書店を出て三越の地下で何か夕食を買おうと思ったらもう閉まっていて、iPhoneを見たらもう8時前だった。日本橋は終了時間が早い。高島屋地下の営業時間ももう終わっていたので結局地元に帰ってイキイキで夕食を買って帰った。久しぶりにコロナビールを一本買って飲んだ。

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私のタイムラインでは、ウクライナのUSB(KGBの後進)によるロシアに対する大規模なドローン攻撃の話題で持ちきりになっている。

https://x.com/shamilsh/status/1929153396918927371

最初はウラジオストックがやられたという話だったが、それだけでなくシベリアのいくつかの航空基地で爆撃機が攻撃にさらされ、400機以上が失われたのだという。軍事クラスタの人たちが戦慄しているのは無人ドローンを搭載したコンテナ車を使って基地近くまで送り込み、遠隔操作で空軍基地を攻撃するというその手法で、これをやられたらほとんど攻撃は避けられないだろうということのようだ。この攻撃の評価はそれこそ専門家でないのでわからないところはあるが、真珠湾攻撃に例えている人もいたくらいだから相当なインパクトはあるのだろうと思う。

基本的には人的損壊があまりひどい徹底的な空襲作戦や地上作戦よりもこういう兵器に照準を絞った攻撃の方が西側にもウケがいいのかなとは思ったのだが、これで局面がどう変わるのか、しばらくは様子を見ないといけないなと思う。しかしいかにも旧ソ連諸国同士の戦争だなとは思う。

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「ふつうの軽音部」68話の感想を少しだけ。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567266123221257

鷹見過去編のクライマックスだが、兄のバンドがうまく行かなくなって父と兄が取っ組み合いをしているという状況。父は兄に「お前のバンドが人気になったのは誰のおかげや」と尋ねる。それは兄のバンドの高校同級生の二人が宣伝や集客に頑張っていたおかげだと。父はこっそり兄のライブを聞きに来ていて、ふたりに頭を下げて「バンド以外何も続かないボンクラですが、どうか今後もよろしくお願いします」と言ったのだという。兄がその二人を「プロになってバンドを続けていく意思がない」と首にしたので、バンド活動自体が行き詰っていたのだ、という真相が明らかにされる。父は普通の意味でいい父親だとは思うが、兄を言い訳しようのないところまで追いつめてしまったことも事実で、何というかどうにもならんなと思う。

そして「あたしの神やから」と慕ってくれていたベースの糸にたいしても自分は東京へ行く、「今のバンドは解散ってことでこれでおまえとはさよならや」と告げる。糸は自分の思いを告げるが、兄は「男の趣味なかなか悪いぞ」と自虐を告げて去る。そしていよいよ状況の時に鷹見は兄のことが心配になり、思わず「いい加減大人になってくれよ、兄貴には食っていけるほどの才能はないねんて!」と言ってしまう。兄の目が暗くなるところで続く、となった。

いやまとめてみたが書いてある通りなのでそれ以上何も感想を言いようがない。憧れだった兄を、「ふつうである自分」から見て「ふつうに生きられない兄」を心配しての言葉なのだが、まだ中学生だった鷹見にはそれが兄にどう聞こえるかまでは考えられなかったのだろう。既に別れの時の言葉は「お前はふつうに生きてくれ」だったことは分かっているから、決裂で終わっている。その後悔を鷹見はずっと引きずっているわけで、それが彼の性格にも大きな影を落としているということなのだろう。

鳩野のボーカルを聴いて鷹見は何度も兄のことを思い出しているのだが、鳩野と兄とはたくさんの共通点があり、鷹見は鳩野を見ていると兄のことを思い出さざるを得ないところがある、というのが物語の構造として明らかになってきているのだけど、読んでいる立場としては鳩野のビビりではあるし浮かれて舞い上がるところはあるが基本的にネガティブ思考であるのでそういう意味では地に足がついた性格であることを知っているから、鷹見兄のようになってしまう心配はあまりしないわけだけど、鷹見としてはなぜ鳩野が安定して伸びてきているのかは気になるということかもしれない。そこのところを確かめて兄に対する思いを吹っ切りたい、というのが鷹見が鳩野たちに「勝負」を持ちかけた理由なのかもしれないなと呼んでいて思ったのだった。

今日はこんなところで。

街の再開発について思うこと/つげ義春という沼/変時の文化変動の現れとしてのエル・グレコの存在

Posted at 25/06/01

6月1日(日)曇り

今日は東京に帰る予定なのだがブログ/noteに書く内容がまとまらないのと行きたいところがいろいろあるが体調があまりついていきそうに無いことなどからいろいろ考えているうちにグズグズと時間が過ぎてしまって立ち上がりが遅くなった。

昨日は早く動こうと思って早く寝たのでちゃんと9時過ぎには寝床に入り、4時前に起きたので6時間は寝ているのだが、どうも疲れが出てしまって動きがノロノロしてしまい、判断が遅い。

「ふつうの軽音部」の更新は読んだのだが、どうもなんというか感想がうまく出てこないので感想を書くのは後にしようと思う。見聞きしたものなどいろいろ。

***

下北沢の再開発について書いた文章を読んで、自分が感じたことを少し書いておく。

やはり今の再開発というのはいい意味でも悪い意味でも「頭のいい人たち」がやってるのだなあという感じがした。

私は駒場に住んでたし劇団もやってたから30年くらい前までは下北は入り浸る街だったので肌感覚みたいなものがあの街に対してはある。渋谷もそうだけど、下北の方が規模が小さい分色が濃い。今はたまたま教員時代の集まりが年に一回下北沢のお店で開かれているので年に一度は行く感じなのだけど、下北沢も変わってしまってやはり私の求めているものとは肌合いが違うなという感じがする。

小田急の敷地にたくさんできた新しい店は一度行ってみたことはあるのだけど、「こういうの好きですよね?」と言われているみたいな感じがしてちょっと違うなあと思ってしまった。

こういう私の感覚は70年代のディープに憧れを持ってた80年代のカルチャーっ子みたいなメンタリティから出ている感覚なのは間違い無いから全然マーケティングの対象にはならないだろうなと思うのだが、なんというか人はどういうか知らんが俺はこれをやりたい、みたいな店が多くて敷居が高かったりもしたがそのワールドに入ったら心底寛げる、みたいな感じだった。今でもそういう感覚が残っている店はある、というか残っているんだけど、もうかなり希少な感じはする。

昔は「こういうのやってみたかったからやったんだけど、みたいな感じでこれはうまくいかないだろうなと思ってたら数ヶ月で閉店」みたいなパターンが結構あってある意味実験的で面白かったのだけど、今はちょっとみんな頭がいい感じになっててこれならそこそこ客は来るんだろうな、みたいな感想になってしまう。

まあそういう「刺さる人には無限に刺さる」みたいなものはある意味頭がいいとやりにくいだろうなとは思うのだが、下北の商文化も成熟していけばそういうのも戻ってくるのかな、という期待はしているのだが。爆音のジャズ喫茶の隣に地元のお婆さんが買いに来るスーパーがある、みたいなのが下北だというのは先入観強すぎなのかもしれないけれども。

新しい店は、なんていうか女性向けのこういうのが好きな人はいるだろうなあと感じさせる店が多い。今の世の中、お金を落とすのは主に女性だからということはあるのだろうけど。「尖りすぎない」ということも多分今の世の中では大事なことで、そういう安定しない店は当然ながら不動産屋には嫌われるのだろうなと思う。

まとめていうと、下北沢の新しい店の全体的な印象としては、回転率が高そうというか滞在時間が短そうな店が多いという感じだなと思う。下北ってジャズ喫茶とか小劇場とかめちゃくちゃ一つの場所あたりの滞在時間が長い店(だけではないが)が集まってる街という印象があったのだけど、まあそれじゃ商売にならないからサッと回っていろいろあってよかった、みたいな街にしたのかなという印象が今のところある。今後そういうのも変わる可能性もあるのだろうか。

年に一度しか行かない人にいろいろ言われたくないとは思うのだが、これは下北沢だけでなくいろいろな場所の再開発にも感じることなので、とりあえず書いてみた。

***

雁屋哲さんのつげ義春さんについての思い出を書いた文章が面白かった。

https://kariyatetsu.com/blog/1678.php

このつげさんが池上遼一さんと一緒に水木しげるさんのアシスタントをしてたというのが何とも贅沢だよなあと思う。呉智英さんが水木の資料整理のバイトをしていたというのはさっきWikipediaを読んで初めて知った。いずれも1960年代か。

これはさっきの下北沢の話にもつながるが、60年代から80年代にかけて、一度ハマったらなかなか出てこられない沼のようなものがあって、その中の一つがつげ義春さんの作品なんだと思う。今の時代もオタクの皆様がハマる沼のようなものはもちろんあるのでそういうのの存在自体は変わらないのだけど、時代というものと並行した感覚が昔はもっと強かったように思う。今はもっと個人的な沼であるように見える。

***

ルネサンス時代のイスラムを含む東方世界の西ヨーロッパへの影響ということを考えていて、東地中海から西欧に来たといえばエルグレコがそうだなと思ってちょっと調べた。

エル・グレコ(1541-1614)はビザンツ文化の濃い(もうビザンツ帝国は滅亡している)当時ヴェネツィア領のクレタ島の出身で、ビザンツの絵画技法をマスターしてからイタリアに渡り、ティツィアーノの弟子になってイタリアの技法もマスターして、ファルネーゼ枢機卿のサロンに加わって活動していたが突然出入りを禁止されてスペインに渡り、マニエリズム時代の巨匠として活動した、のだそうだ。

グレコとはギリシャ人という意味であり、ローマにいられなくなったのは当時神のように崇拝されていたミケランジェロを酷評したかららしいのだが、その破天荒なところもある意味カラヴァッジョ(1571-1610)に似ていてスペインバロックの先駆らしい感じはするなと思った。

https://santotome.org

エル・グレコは黄金世紀のスペインバロック絵画について調べていたときにその先駆者として出てくるのを知ったのだが、そんなに熱心にみて回ったわけではないけど、スペインに行ったときにトレドの礼拝堂で「オルガス伯の埋葬」は見た。世界三大絵画と言われているそうだがどこがすごいのか大学4年生当時はよくわからなかったなと思う。絵の迫力については実物を見ないとわからないので、またスペインに行く機会があったら見てみたいと思う。

エル・グレコで好きな絵はいくつかあるが、大原美術館にある「受胎告知」もいい。あとはトレドの大聖堂にある「奪略」と・・・といいだすと彼の絵はほとんど良いな。

エルグレコの特異性はやはりビザンツ美術の影響が表れているということだと思うので、ある意味での文化融合の成果と言えるわけだが、それもイスラムの隆盛とビザンツの没落という変事に連動したものでもあるので、時代が動くときに文化も動く、というのはそうだろうなと思った。

雁琳さんのスペースを聞く:ナチス絶対悪体制としての現代世界と近代日本の「国体」と「政体」/「ミワさんなりすます」13巻と「れんげとなると!」4巻/「創作の目で見ること」の弊害

Posted at 25/05/31

5月31日(土)晴れ

今日は5月31日か。もう5月も終わり、明日から6月か。なんだかどんどん月日ばかりが経っていくが、季節も確実に動いてはいるのだが、なんとなく肌寒くて今朝もストーブをつけている。ただつけているとすぐ熱くなるのですぐ消したり、座って同じ姿勢でずっとパソコンのキーボードを打っていると寒くなってきたり、という感じである。

昨日は午前中母を病院に連れていく。雨の予報だったので母を車椅子に乗せたり下ろしたり、車の乗り降りが大変だなと思っていたが、到着したときはほんの少し降っていたけど帰りは上がっていて、助かった。帰りに母を連れて買い物に行くつもりだったがトイレが近いようだったので先の施設に送り、セブンでお金をおろして会計事務所に届け、戻ってきてスーパーで買い物をして施設に届け、その足で蔦屋へ行って「れんげとなると!」4巻と「ミワさんなりすます」13巻を買った。帰ってきて昼食を摂ってからお金の出入りをつけていて銀行に行く用事を忘れていたことに気づき、出直して銀行に行って書類を届けてお金をおろして帰ってくる。やることが多いと忘れがちだということはあるが、母を病院に連れていく日はそっちに神経が集中してしまうので他のことは忘れがちになる、ということはあるなと思った。

***

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「ミワさんなりすます」13巻はオリジナルでの連載昨年24号分まで掲載されていたので去年の11月末に出た分だろう。今時々オリジナルで読む内容に比べるとだいぶ昔のものだなと思うが、ミワが思いがけず俳優として舞台に立ってしまったり、パワハラ監督のオーディションを受けたりする内容で、以前の家政婦編も面白かったが今の俳優修業編も私はとても好きだ。まあ自分が演劇をやっていたということもあるが。

ミワさんは自認としてはただの映画オタクなのだが、実はめちゃくちゃ記憶力が良くて開幕でいきなり間違ってスポットライトを当てられても冒頭のセリフを言えたり、オーディションで何も聴いてないのにいきなり「ゴッドファーザーの冒頭のセリフをいえ」と言われてすらすら言ったりして周りの度肝を抜く、という読者の側に「これはミワさんならできるだろう」と思わせて作中人物が驚愕しているのがなんとも言えないカタルシスになる、という構造がよくできてるなと思う。連載ではついに俳優になる決意を固めていて先が楽しみなのだが、単行本ではまだ迷いがある状態なのもいい。まあ29歳で何も素養がない(と本人は思っている)俳優になろうという人は、確かに普通はいないだろう。ただ本人は自覚していないが、年間1520本映画を見る人は絶対普通ではない。蓮實重彦のゼミでも参加の条件は「年間100本映画を見ること」だった。

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「れんげとなると!」4巻はスペリオール連載で25年8号分まで掲載なので3月末に出た内容ということになる。れんげの過去、食べログの低評価のワケ、カブでの北海道遠征、なるとを誘惑するシオリ、と盛り沢山な感じの内容だが、ギャル中華と根暗系モブ男子に酔っ払いと肉感系の大人女子も絡んでくる、ある種のハーレム物かなとちょっと思ったがいや結局はなるととれんげのことをこの2人は応援してるんだよな、と気が付く。4人とも社会人ではあるが、後の2人は大人なのだよな。

次々に突飛な創作料理を作ったりいきなりの企画を思いついたりするギャルのれんげに振り回されるモブ男子のシンジ、という構造だが、読む側としてはシンジの心理状態に共鳴して、トラブルに巻き込まれがちなシンジの日常に心が冷えたり、れんげの明るさに心が暖かくなったり、という感じになるのも上手いなと思う。

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https://x.com/ganrim_/status/1928447332707668444

夜は仕事から帰ってきて夕飯を食べながら雁琳さんの「ナチスの右翼性と左翼性論争について語ろう」というスペースの最初の方を聞いていたのだが、面白かった。かいつまんで面白かったところをあげると、

テーマに沿って言えば、「ナチスは左翼」と言われると左翼の人たちが怒るのは、現代世界においてナチスは「絶対悪」とされているからだ、という議論はまあ良くされているわけだけど、その例として侵略者であるプーチンでさ「ウクライナはネオナチだからだ」と正当化し、ハーバード大学を弾圧しているトランプでさえ「パレスチナ擁護派は反ユダヤ主義≒ナチスだ」と攻撃を正当化していると指摘していたのがなるほどその通りだなと思った。

また田野大輔さんの「ナチス実践授業」に対する批判がなされていたけど、つまりは心理的浸潤ということへの配慮に関して、ということだである。確かにあれはある種心に変な残り方をするだろうなという意味においてはロシアンルーレット(「ディアハンター」に出てきたような)とかいじめ(「フルメタルジャケット」にも出てきた)とかに共通するものはあるかなという気はする。

ああいう心の変形を伴いそうな訓練というのは、警察官であるとか自衛官であるとかなら仕方ないだろうなと思うし、また俳優の訓練として感情解放とかがあるように、ある種の専門性を育てるための訓練としてなら許容できるとは思うが、大学の授業でやるということは一般の市民としての教養の一環としてナチスのヤバさを体験するという趣旨だろうから、行き過ぎと言えなくはないだろうなとは思うし、許せないと思う人もいるだろうなとは思った。

それから、2時間くらいのところで話し合われていた国体を定めた五箇条の御誓文と政体を定めた政体書以降の帝国憲法・日本国憲法という議論は、もう一度ちゃんと聴いて自分でも調べてみようと思った。日本近代がバーク的でなくルソー的だ、という指摘はツイッターで読んだ時にはちょっと賛成できない(バーク的ではないことは確かだがルソー的だというのは正確性というか価値中立性を欠く)と思ったが、五箇条の御誓文で「天地の公道」と言ってるからルソーやモンテスキューの言ってることや人権みたいな「普遍的」原理みたいなものはなんでも取り込めるんだ、と雁琳さんが指摘してて、なるほどね、とは思った。まあ明治日本は「ルソーの一般意志的」と言ってもいいかなとは思うが、「ルソー的」というと社会契約説的な日本の国体との齟齬が現れてしまうというのは今でも思うけれども、そういう部分は政体に過ぎず国体ではないんだ、という言い方は成り立つという主張も不可能ではないかもとは思った。

ただ、最初の1時間くらいROM=匿名で聴いてて面白かったのだけど、朝起きてから録音データを見たら7時間11分とか書いてあって、この人たちは・・・となった。途中で切り上げて良かった。そんなの聞いていたら4時や5時には起きれない。(まだ継続中だったということになる)生活サイクルと年齢の違いは如何ともし難い。

***

https://x.com/tanaka_kuu/status/1928583135547240531

ジャンプ+で「タテの国」を連載し、今は「人喰いマンションと大家のメゾン」を原作担当で連載されている田中空さんの上のツイートがとても納得のいくものがあった。

これは大きな違いがあって、日常生活を「詩を作る」という観点から、つまりはある意味での「仕事」の面で見るようになってしまうと途端につまらなくなる、ということはあるなと思う。谷川さんの詩にもそういうことを感じたことがあって、それからあまり読まなくなったということはあった。

まだ仕事になってるわけではないが、私もマンガを読んでいてブログのネタを探そうと思って読むときはやはりあまり面白くないし、面白いところも見つけられにくい。ただ単に読んでいるときの方がずっと楽しいし、面白いことを見つけられる。創作に必要な姿勢はある意味虚心だということは、少なくとも私の場合は肝に銘じておかないといけないと思った。


5月も終わり/「ミワさんなりすます」13巻:共犯関係の読者が感じるカタルシス/「れんげとなると!」4巻:シンジの感情の上下に共鳴する構造/「ナチスは左翼論争」についての雁琳スペースを聞く:ナチス絶対悪体制としての現代世界と近代日本の「国体」と「政体」/日常生活を捜索の目で見てしまうことの弊害


創作から批評にチェンジしたきっかけ/国語の先生にはお世話になってきた

Posted at 25/05/30

5月30日(金)雨

ここのところずっと朝は曇っていたが、今は小雨。でも雨雲レーダーを見るともうすぐ通り過ぎるだろうか。今日は母を病院に連れていく日なので上がってくれた方がありがたいが、通学中の子供たちが傘をさしているのが窓から見える。

昨日からいろいろ考えているのだけど、自分のやることの方向性が少し見えてきた感じはする。まあ今までも何度もこう言う感じになってその度に違うかな、みたいなことはあったのだけど、今回は一番自分が今までやってきた過去と今の現在に繋がっている感じがするから一番妥当な感じなのではないかとは思うが、もう少しはっきりしたまたそう言うことも書きたいと思う。

昨日は自分のnoteのマンガ関係の文章のうち、自分でいいなと思ったりスキをそれなりにもらっている文章を読み直して小冊子にしたりしていたのだが、スキがそれなりの数ついている文章は自分が読んでもやはり読み応えがあるんだなと改めて思った。勢いとか上手くスキを増やすテクニックみたいなものはあまり使っていないので、スキがついていないからと言ってつまらないとは必ずしも限らないけどそれなりにスキがついているものはやはり自分が読んでも自分なりに書けてるなと言う感じがすることが多い。ただ、ネットで読むように書かれているのでリンク先の情報がないとわかりにくいと言うことはあるかなとは思った。小冊子にするときはその辺をどう対応するとかの問題が出てくるんだなと思った。

文学とかマンガとか、いろいろなものに対してレビューとか感想とか批評とかそれに関するエッセイとか、自分の中であまり区別していないことが多々あるけれども、そう言うものを書き始めたのは本格的にネットをやり始めた37歳の時からだから、書き始め自体が遅かったんだなと今改めて思った。それまでも劇作をしたり詩を書いたり歴史の論文を書いたりはあったが、批評的な文章は書いていなかった。

もちろん、友人とかとさまざまなジャンルの作品について感想を言い合うことはよくあったし、こう言うのも文章にまとめれば面白いよなとは思っていたけど、いざ書いてみるとなんだか陳腐になってどこかで聞いた意見の寄せ集めみたいな感じになってしまい、ダメだなと思って書くのをやめていたのだけど、ネットで詩のサイトを始めて、あまりに読まれないので読んでもらえるジャンルを、と探していたらウェブ日記に出会い、そこでそれなりに文章を読んでもらえる楽しみを知って、いろいろなものを書き出した、と言う感じだろうか。その頃は白洲正子にハマっていたので白洲の批評を書いて地方紙の賞に応募し、最終選考に残ったくらいまでは行ったこともあったが、まあもう一つ上手くいかなかった。

創作から散文批評へのチェンジはそう言う形で割と自然に起こってしまった、つまりなるべく自分の書いたものを読んでもらいたいという軸でそうなったのだけど、もう一つきっかけになったのは、今考えてみるともう一つあった。この話は自分の中でははっきりしているのだが言葉にするのが難しいのだけど、国語の先生と話していてなるほどと目を開かされたことだった。「ふつうの軽音部」のクワハリさんの前職が「国語の先生」だったと言うのを聞いた時からなんだか自分の中でいろいろ出てくるものがあって、そのこともあって思い出したのかもしれない。自分が文章を書き始めたきっかけも、小学3年生の時の担任の先生が作文指導に熱心だったことがあるから、国語の先生にはいろいろとお世話になっているんだなと言うことだけちょっと書いておきたいと思う。

今日は母を病院に連れていく日なのでこの辺りで。

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