「何でも屋」が生き残るためには/「保守的で常識的」であることと「突出する」こと

Posted at 26/03/11

3月11日(水)晴れ

今朝の今のところの最低気温はマイナス4.8度。かなり寒い。三寒四温というが、冬は寒い当地としても3月中旬にマイナス5度近いというのはかなり寒く感じる。2階から降りて1階の廊下を歩いてトイレに行く途中に寒さを実感した。

昨日は3月10日、当地では公立高校の入試だったが、歴史的に言えば東京大空襲の日。私は江東区なので一面が戦災にあった地域であり、荒川放水路のそばまでいくと古い建物が立っていて、ここは戦災を免れたのだな、と思ったりする。戦後の街並みもすでに恐らくは何度も更新されて今に至り、最近でも近くの立派な日本家屋が取り壊されているのを見た。そういう変化がいいことなのかどうか、難しいけれども、居住する人たちも代が変わると古い家屋を住みにくく感じ、また固定資産税も高いので、集合住宅や商業建築に建て直したりするのだろうなとも思う。

そして今日は3月11日で、東日本大震災の日。あの津波の映像と、翌日に始まる原発事故のニュースから、もう15年が経ったのかと思うと驚いてしまうのだが、東日本大震災の記憶のない子達がもう高校生になるのだなと改めて思う。

日本では戦災は80年間ないし、また災害は繰り返し訪れてはいるけど普段はそんなことは忘れている。しかし世界で見ればそういうことのない年はないわけで、世界が幸福になるというのはどういう状態なのか、なかなか想像しづらい面もあるなと思ったりはする。

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自分はなんでも屋というか、なんでもできるということはないけど、何にでも関心を持つ傾向はあり、ただそれがどういうものに結びつくかは難しいというか、何か一つのことができる、何か一つのものに揺るぎない興味を持ち続ける、みたいな人の強さのようなものが羨ましいと思ってきた面がある。自分は何かを自分に習慣づけるとか、ずっとこんなふうに毎日文章を書くとかをやることはできるのだが、同じものに継続して情熱を持ち続ける、ということは割と難しい。

若い頃は万能の天才というものを目指してみたが、まあ一芸もそんなに物にはならなかったので、つまりはいろんなことを知っているしそれなりにできることは結構ある程度のつまりは器用貧乏みたいな物なのだが、実際のところ、高校の頃に友人に「万能の天才になれなければ器用貧乏でいい」みたいなことを言ったことがあり、そういう意味ではそういう言葉にある意味呪われてるなと思うところもある。

ただ実際、世の中には万能の天才といかないまでもマルチな才能を持つ人は多いし、スペシャリストではなくジェネラリストとして才能を発揮する人たちもいる。政治家などもやはりいろいろなことを知っている、いろいろなことの要点を押さえ、問題点を把握し、それを政策に組み上げるというような才能は必要なわけだ。

そうしたスペシャリストでない、いろいろなことができる人、という方向でサバイバルしていくためには、一芸に打ち込むという方向ではそれが成し遂げられないわけで、要するにいろいろな人にこの仕事を頼んでみたいとか、やってもらいたいと思われる必要があり、また文章の書き手としてはこの人の文章を読んだら何かを知れるとか専門的な知識を得られるとかではないけど、なんだか面白いとかいろいろな意味で読みたいと思われることが大事なわけで、そういう意味で「人気」がある必要があるんだな、ということを今朝サンデーを買いに車を運転している途中で考えた。

そういう人気の育て方というのは今では動画が強いとは思うが、そういう物には乗り遅れていて、ポッドキャストみたいなことを考えてもみたが、まあちょっと地味かもと思うというか、声や喋りに結構特化されるわけで、それがいいかどうかもわからない。動画よりも用意するものが少なくて済むか、と思うくらいの感じである。

ただこれも、文章なら時間を捻出しながら毎日書くことはできるが、動画や音声だとどうだろうという感じもあり、何がいいのかはまだよくわからない。ただ、多くの人の目になるべく多く留まる方法というものは考えて行った方がいいだろうと思った。

このブログ/noteも大体アクセス数で一日500−600程度だと思うのだが、まあ1000に早く乗せたいなと思うし、いいね数も最近の17日のうち10を超えているのが9日、未満が8日という感じで、コンスタントに10以上を目指すのか一つでも100以上もらえる内容を目指すのか、みたいなことを感えたりもするが、取り上げているテーマとアクセス数から考えて何かでバズらないと100とかはなかなかいかないわけで、それを可能にする巨大なコンテンツ(内容)というものを毎日書けるかというとどうかなとは思う。

政治が熱いときは政治について書けばアクセスは上がるとかそういうのはあるが、まあ考えてみればいろいろ自分が考えたことや自分がしたことなど、つまり好きなことを書いているだけでこれだけ読みにきてもらっているということはとてもありがたいことなのだよなと改めて思った。

で、今何を書いているか、これから何を書いていこうかを考えると、自分が「面白いと思ったこと」自分が「正しいと思ったこと」自分が「お知らせしたいと思ったこと」自分が「感動したこと」などを書いていくということに変わりはない。で、noteという場は雰囲気としてどちらかというとリベラルな読者が多い気はするのだけど、私のスタンスはプロフに書いている通り、「保守的で常識的な意見」であり、「過激な意見に疲れた方」に「読んでほっと一息入れ」てもらえるもの、というところはある。

で、このあたりから導き出されるのは、「自分の経験からこれは正しいと思うこと」でも、多くの人にとっては経験を共有されていない、説明もそう十分でないから読みはしたが「いいね」は押したくない、と感じることもあるのではないか、ということだった。ここ最近「マンガワン」絡みの内容を書いている中で、「常人仮面」の作者さんと元その女子生徒の関係は、私は「創作現場にありがちな男と女の話」と基本的に捉えたのは、そういう現場を知っているしそこからの類推からなのだが、それはある意味特殊な場であるし、「権威を持つ男の大人が未成年の女生徒をたぶらかせた」という構図からどうしても自分のような見解に頷き難いという人がいるのは仕方ないなとは思った。

この話も、「被害者」の女性からマンガワンや小学館、また文春を攻撃しないでくれ、という声明が出たこともあり、「自分もマンガに助けられた」ということから、全体に沈静化した感じはある。この人はそういう意味で頭のいい人だしあるいは才能もある人のように思えるので、いずれ世に出てくることもあるかもしれない。その時にはまたこちらの見解が正しかったのかどうかもわかるかもしれない。

もう一つは、フェミニズムなどの現代主流になりつつある思想へのスタンスの問題なのだが、この文章を読んでいる人にはお分かりだとは思うが私は基本的に否定的な考え方を持っている。「保守的で常識的な」という言い方は言外にフェミニズムのようなある意味ラディカルな思想に対する否定的姿勢を表しているということは受け取ってもらえると思うし、そういう意味でプロフにそういうことを書くというのはお客さんをある意味最初から絞っているということもなくはない。

実際のところ、そういう見解に賛成の人たちは増えてきていると思うし、世の中の流れは変わってきているとは思うが、まだマスコミや学界、経済界などのエスタブリッシュメント界隈ではまだまだその勢いは強いようには思う。

この辺りについては割合直観的な批判の部分が大きかったのだけど、少し内在的な部分で理解したところもある気がするので、その辺については少し纏まったら書いてみたいかなとは思っている。

結局その視点の定め方なのだが、ちょっと尖っている方がいいかとか、ちょっと偏ってる方がいいかとか、切り口として受け入れやすいのはどの辺なのかというのが今迷っている、というか常に決めきれないでいるところではあるし、上から目線的な言い方は避けている、というかつまり「先生みたいなものの言い方」はあまりしないようにはしているのだけど、一定はあった方がいい気もしなくはなくて、その辺も迷ってはいるがなるべくフラットな視点で、ということ自体はあるかなと思う。

この辺のところもまとめながら考えていきたい。

イラン戦争:「自由主義と権威主義の対立構造の崩壊」という世界観とリアル/石川知事選:県都への人口集中と地域の課題/若い世代:根拠のない楽観と根拠のない諦めの同居

Posted at 26/03/10

3月10日(火)曇り

今朝は冷え込んでいる。今の所の最低気温はマイナス1.6度。昨日は東京にいたけれども、東京も思ったより寒くて、温暖なことにむしろ警戒していたのだけど、結局1日冬向けの服装で過ごした。

昨日は午前中、ブログを書いた後いろいろやって、昼前に近くの和菓子屋さんまで歩いて弁当を買いに行き、ついでに桜餅も買った。帰ってきて改めて出かけようと思ったがもう昼近くなので先にご飯を食べることにし、食べ終えてから考えたがあまり調子が良くなかったので結局出かけず、洗濯やゴミ捨て、家の中の片付けなど少ししてから実家に戻ることにした。

2時前に駐車場を出て、ローソン併設のスタンドで給油した後水やコーヒーを買い、出発。地元のランプから首都高に乗り、三宅坂まで順調。4号に入ってもずっと流れは良くて、西新宿の合流も止まらずに過ぎた。むしろ三鷹料金所の手前でごちゃごちゃしていた感じだったが、石川PAに3時過ぎについた。順調に流れた感じなのだけど、どうしても下りの方が時間がかかるのはなぜなんだろうなといつも思う。

そのあとは相模湖のあたりで工事渋滞があり、昨日はここが一番混んでいた感じ。そのあと境川PA、八ヶ岳PAで休憩。最近は八ヶ岳には寄らないことが多かったのだが、どうも昨日は疲れが出ていて一度トイレ休憩した。地元のインターを降りて近くの書店までいき、「アルスラーン戦記」24巻と「タワーダンジョン」6巻を買って、隣のスーパーで夕食の買い物をして実家に着いたのが5時半過ぎ。疲れていたのですぐご飯を炊いて、7時前からニュースなど見ながら夕食、昨日は豆腐がなかったので余っている卵を味噌汁に入れて食べた。8時前にはうたた寝を始め、9時過ぎには入浴してすぐ床に入り、3時半ごろまで寝た。だいぶ疲れていたのだなと思う。

朝起きてからお金をつけたり、ゴミをまとめたり。早めに出かけてゴミを出し、セブンでコーヒーを買って帰ってきた。

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https://x.com/hazuma/status/2030528486277107839

><民主主義と自由の欧米(&日本)>vs<権威主義で侵略的なそのほか大国>といった単純な二項対立がもはや維持できなくなったことは確かなように思う。

今の状況は、一応の自由主義諸国がちょっと乱暴でヤバいアメリカを盟主に担いで、権威主義の中国やロシア、イランなどと対峙するという大勢だが、アメリカやイスラエルの突出を持って自由主義ではなくなった、と言いたい人がいるのはわからないでもない。ただWWIIだってファシズムに対抗する民主主義陣営に共産主義ソ連や蒋介石独裁の中国を入れてたわけで、そういう考え方は発信しているご本人はともかく、まともに受け取ってしまう人たちはややナイーブという感じがし、名目と中身は結構いつも乖離してると考えた方がいいと思う。

実質的にはより自由主義的システムを持った先進資本主義諸国と権威主義的諸大国との対立という感じだが、前者の中でもやはりアメリカとイスラエルの突出は目立つ。今の局面はむしろこの二国のある種の本質が剥き出しになっているということなのだとは思うが、アメリカという国は基本的には結構反ユダヤ主義も強かったし(今でも一部ではそうだろう)アイゼンハワー時代にはスエズ紛争を止めたりもしていて、本質的に親イスラエルということは本当はないのだろうと思う。現在のイスラエルはむしろ欧米諸国にとっては「中東で西ヨーロッパのキリスト教の信仰や自由主義的振る舞いも許される」、ある種の「十字軍国家」みたいな意識もあるのではないかという気はする。だから欧米はその振る舞いを抑制しきれないところがある。

一方でアメリカも国際秩序の盟主と言いながら、国際秩序、ないしは国際法を無視した振る舞いは戦後も一貫して見せることはあったわけで、彼らには国際法よりもアメリカの論理の方が上に来るのだろうなと思う。結局はそういう国なので、アメリカを凌駕するような力を持つ国が交渉するのではない限り(核保有国はある意味その力を持っている)アメリカを制御することはできないわけだが、それができたのが安倍ートランプ関係だったわけで、もう何十回も書いているが返す返すも日本にとっても世界にとっても安倍さんのしは損失なわけである。

ただこれはフランスだって核兵力の充実を言い出しているし、イギリスもEUから抜けたりし、またEUも今になって石炭火力の見直しを言い始めたり、国際秩序などと言ってもまずは自国優先であるのはどこの国もある意味では同じである。カナダなどがミドルパワーの結集と言ってアメリカを牽制しているのは「新しい秩序の構築」というよりはアメリカに無言の圧力をかけるという意味の方が大きいと思うし、もちろん枠組みがこれから変わる可能性はゼロではないが、見る立場としては常に二股かけて両方の可能性を考えていないと二階に上がって梯子を外されることになりかねないわけで、その辺は注意すべきだろう。

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https://www.lij.jp/news/research_memo/20190731_10.pdf

石川県知事選挙は保守分裂で現職の馳知事が敗れたが、相手は元金沢市長だとのこと。石川県の人口は約109万人だが、そのうちの40%が金沢市に集中しているということで、これは県都以外と県都との戦いみたいな面もあったのかなと想像する。これはおそらく日本中どこでもその傾向は強くなってきているように思うが、4割を超えるのは東京都、京都府、宮城県、高知県、香川県、広島県、熊本県、大分県、 神奈川県、石川県なのだという。うち東京都は23区+多摩地区+島嶼という構成なので元々が例外的で、神奈川県は横浜が300万都市だとはいえ他にも川崎・相模原と政令指定都市があり、一極集中とは言い難いだろう。だからその他の8府県が特にということだと思う(特に京都府は250万の人口のうち143万が京都市で6割近い)が、他には北海道も500万のうち札幌市が197万なので4割近くを占めている。

こうなると、人口の集中する都市とその他の地域では住民の求めるニーズは違うものになるわけだし、都市以外の地域の要求は通りにくいということになりやすく、全国的には東京への人口流入が多いけれども、各県の中では県庁所在地に人口が流入しやすいということにもなる。各県にある国立大学も県庁所在地にある例が多く、大学進学後にそこで就職する例なども多いだろうと思う。

逆に県庁所在地への人口集中が2割以下の県は茨城県、山口県、三重県、福島県、千葉県、群馬県、埼玉県、長野県、静岡県だそうで、国立大学が県庁所在地以外にもある県、交通の中心が県庁以外にある県、工業地帯が県庁以外にも広がっている県、ということになろうか。

地方自治というものは国政とは異なる課題があることが多いので、日本の政治を見ていく際には国政だけを見ていくのではなく、地方の動きやその特徴も見ていく必要があるなと改めて思った。

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「若い人たち」についてのツイート二つ。

https://x.com/Fumisme/status/2030669645951475857

「生まれたときからスマホがあり、なんなら「おとなしくなるから」と乳幼児の頃から四六時中スマホで動画を見せられて育った世代が小学生になるとどうなるかの社会実験で、いよいよ“答え”が出始めているのか」

若い子たちはマンガも読まない、という話なのだが、これは実は我々の子供の頃にすでに「テレビに子育てをさせる」ということは行われていたわけで、ひと世代上だとまだスマホはなくても子供番組を録画しておいて忙しい時には「しまじろう」とか「ちゅうかなパイパイ」を見せておけばいい、みたいな人たちはいくらでもいただろうと思う。

スマホの動画はそれよりは能動的で、自分で面白いものを探すという点が違う。そういう意味では、テレビに飽きた子供たちはマンガや絵本を見たけれども、今の子達は動画に飽きたら新しい動画を探す、ということで完結してしまうのかもしれない。実際のところはわからないけれども、そのあたりの本質的な違いはこれから現れてくるのだろうか。

https://x.com/honnokinomori/status/2031120560860836265

「最近ある本を読んで膝を打ったのだが、今の子達は贅沢を求めないなら努力しなくても今の生活が維持できると思っているようだ。彼らは「今のまま努力しなくても今と同じ何不自由ない普通の生活は送れるだろう」という甘い認識を持っていて、今の普通が実は普通以上の生活だという事を認識できていない」

これもどうかなと思うところがあり、ただ、昔の人たちは「大勢に合わせて」勉強する人が多かったとは思うが、今はむしろ勉強しない方が大勢で、「やりたいことや特殊な意識を持っている」人が勉強する、という傾向はある気はする。それはまあ、「世の中がどんどん便利になっている」からで、我々60代の人間だって昔の人から見れば勉強しないし体は弱いし、と文句を言われた「新人類」と言われた世代だった。社会的な好況で割と恵まれたバブル世代や一転して努力しても認められない氷河期世代などが生まれてしまったが、今の子たちはバブルジュニアから氷河期ジュニアに移りつつあり、根拠のない楽観と根拠のない諦めが同居しているような不思議な感じはなくはない。

どちらかというと多様化している印象はあるけれども、やはり時代の空気というものはあり、一言で言えばそういう特徴を持った世代なんじゃないかとちょっと思ったりした。

「自分を構成するマンガ」は思ったよりたくさんある/人生二周目の用意/「ふつうの軽音部」はなぜ描けたのか/石川県知事選の波乱/イランの新最高指導者/マンガワン騒動は落ち着くか

Posted at 26/03/09

3月9日(月)晴れ

昨日は何とか午前中に実家の方を出て、インター手前のファミマでコーヒーとチョコバーを買い、八ヶ岳PAでトイレ休憩し釈迦堂PAで弁当を買って、石川PAでトイレ休憩、というパターンで帰宅。昨日は比較的道が空いていたが、何かあったのか。その分パトカーが多くて、でも結構取り締まりには慎重な印象があり、例の神奈川県警の事案が影響しているのかなと思ったり。

家の高層住宅のコインパーキングは修理されて5台止められるようになっていて、駐車できたのでよかった。結局2時過ぎになったのでうまっている可能性もあるなと懸念したのだが。

昼食後、ちょっと遠出するか迷ったのだが、体調がいまいちなのと占いがよくないのでやめた。案の定腹が下ってきてトイレに籠ることになり、これで遠出していたらかなり大変だったなと思う。近場に行こうと思って結局日本橋に行き、丸善で本を見て高島屋の地下で弁当を買って帰ってきた。なんというか昨日はあまり見て回る気が起きなかった。

本棚を見ていたらサービス終了になってしまったが「わたしを構成する9つのマンガ」というものがあったことを思い出し、自分で作ってみた。

https://x.com/honnokinomori/status/2030623311525499059/photo/1

https://x.com/honnokinomori/status/2030625433386164590/photo/1

https://x.com/honnokinomori/status/2030628442535010712/photo/1

本棚を見ているうちにいろいろあるなと思い出して3セット作ってみたが、当時はすごく読んだのに今はほとんど読まないから忘れているものは結構あり、またしまいこんであるから出すのが大変なのでいれてないものもあるから、こうやって見ると本当にマンガを読んで来たなあと思う。2015年くらい以降の作品は実家の方にあるのでそれらを入れるとまた感じは変わるのだけど。

ついでに好きな画家9人というのも画集から選んでみた。

https://x.com/honnokinomori/status/2030635613675000289/photo/1

モディリアーニ、ピカソ、フジタ、カラヴァッジョ、ムリーリョ、ミュシャ、ボルタンスキー、奈良良智、有本利夫と並べてみたが、ロートレックとバルテュスも入れたかった感じだなと思ったが、どこに仕舞ったか見当たらなかった。

こういうことをやっていると、確かに普段は忘れているけれども、こういう作品たちの影響、というか特に自分の「好み」というものへの影響はあるわけで、時々並べ直してみることで自分を再確認できるということもあるかもしれない。これは多分、小説だとかジャンルに関わらない「本」というものを並べてみるのもそういうことになる気がする。

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画集を探していて「フラムスチード天球図譜」(恒星社、1968)が出てきて、子どもの頃星座の本をよく読んでいたのだけど、この図譜の星座の図がよく引用されていて、なんだか魔法のような印象があった。購入記録を見ると2013年なので買ったのはまあ最近なのだが、これは持っているだけでうれしくなるような本である。天文学者になりたいと思ったのはこういうものが好きだったこともあるのだが、実際の天球にはこうした絵が描いてあるわけではない(プラネタリウムでは再現できるが)ので、実際には関心は天文学と天文学史とギリシャ神話とかに分裂してしまい、こちらの方の関心がうまく結実することはなかったのだけど、何というかこういう「天文を扱う古書」みたいな方向に向かうのは一つの手だったかもしれないなとは思ったり。

これからやるのは大変かもしれないが、人生二周目とかにやりたいことはたくさんあるなと思う。

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https://x.com/AlwaysLsnJp/status/2029846364251902396

https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/kuwahari-rock-love/

こういうことを考えたのは、上の「ふつうの軽音部」の原作者、クワハリさんのインタビューを読んだからなのだが、クワハリさんは作中に出てくるロックの楽曲の選択が本当に巧みだなと思っていて、なぜそんなに絶妙な選択ができるのか、ということに関心があったのだけど、つまりは「ずっとその時代その時代のロックを聞き続けてきた」からなのだ、ということがわかって、ちょっと目から鱗だったということがある。

お兄さんの影響でロックに興味を持ったというのは作中の鷹見兄弟やあるいは主人公鳩野ちひろとお父さんとの関係を思い出させるが、そういう少し上の世代の曲から、中学時代(1999-2002くらい?)に椎名林檎に夢中になり、「Rockin on Japan」を読み始め、高校時代には銀杏BOYZなども聴き始めたと。ロック全体を推したいから幅広い選曲にしているというのもなるほどとは思うが、歌詞が作品に使われるから歌詞に注目して聞いているのかと思ったらそうではなくて、曲を聞いているうちに「こんなことを歌っているのか」と思うことが多いというのは意外だった。

大学時代にバンドを組んで、社会に出てからも組んだりしていたというのはやはり本当にロックが好きなんだなと思うし、広く浅くで「音楽通ではない」というコンプレックスがあったそうだが、逆に「ロックを聞き続けている人」というのは実はあまりいなかった、そういう自分だからこそできた作品なんじゃないか、という分析で、これは本当にそうだろうなと思ったのだった。

私よりちょうど2周り下の人なので、自分が知っている曲が出て来たのは今のところ「リンダリンダ」とグレイの「誘惑」しかなかったのだが、作中に出て来た曲を聞くことで逆にロックの楽しさを知っているという感じで、その点でもありがたいのだが、そういうガイドにもなるという点でこの作品は素晴らしいなとは思っている。

だからそういうスタンスで何か自分ができることがあるかなと思って考えてみるとマンガとアートだなと思ってそういうものを並べてみたのだけど、マンガは穴が開いている時期があるしアートは自分より詳しい人はいくらでもいるわけで、まあこの作品はこういうところがいいと思うんだよね、という自分なりの紹介しかできないし、フィクションで書くにしても作品と内容をシンクロさせるのは難しいよなと思うから、やはり「ふつうの軽音部」はよくできているなと改めて思ったりしたわけである。

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https://x.com/asahicom/status/2030665209904300436

石川県知事選が現職の馳浩氏が敗れるという波乱があったのだが、ちょっと調べてみるといろいろ出てきて、なるほどなあと思うことが多い。

当選した山野之義氏はもと金沢市長ということで、金沢を中心とした地域で票を取り、全般から票を集めた馳氏に競り勝ったということのようだ。

https://x.com/honnokinomori/status/2030770164472627621

また石川県は森元首相の印象が強いが、旧田中派から93年に新生党結成で小沢一郎氏らとともに党を出た奥田敬和氏の地盤でもあるということを聞き、なるほどと思った。そういう保守の流れもあるからこそのこうした逆転劇なのだなと思うし、「高市首相が応援した馳氏が負けた」という現在の局面を見るだけでなく、地域の政治史というものを追いかけないといけないのだなと改めて思った。

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https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR081QM0Y6A300C2000000/

イランの最高指導者にハメネイ師の次男のモジタバ師が選出されたとのこと。イスラムでは世襲制を強く否定するわけだが、今回のイスラエル・アメリカとの戦争の中で多くの指導者が爆殺される中、火中の栗を拾えるのが彼しかいなかったのではないか、という気もする。

トランプ氏はすでに「イランとは交渉しない、無条件降伏あるのみ」という姿勢になっているから、イランとしても徹底抗戦しか道はない感じになっているのだろう。ただ劣勢をどう跳ね返せるのかはわからないし、強硬派の革命防衛隊のみが突出している印象で、どう落とし前をつけるのかはビジョンがよく見えないのが実際だろうと思う。

この事態で一番困っているのは湾岸諸国であり、またウクライナ空域とイラン空域を通れずアゼルバイジャン上空を飛ぶか南に遥か迂回してとぶしかなくなった航空会社とその利用者かなと思う。原油価格も当然上昇し、コストプッシュインフレのスタグフレーションも懸念はされるが、かなりの部分がトランプのきまぐれに左右される可能性が大きくて先が読みにくいのが大きな問題だろうと思う。

結局トランプはネタニヤフの言葉にかなり左右されているようなのだが、この局面で安倍さんが生きていたらもっと穏当な方向にトランプを導くことは可能だったと思うし、それを考えると山上被告と彼を煽った日本の左翼マスコミ・言論人の罪は重いなと改めて思う。

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https://www.tokyokyodo-law.com/%e6%9c%ad%e5%b9%8c%e5%9c%b0%e8%a3%81%e5%88%a4%e6%b1%ba%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

「常人仮面」作者の件、原告女性からコメントが出ていて、マンガワンからの作家さんたちの作品引き揚げなどは望まない、前科があっても作品を発表することを一概に悪いことだとは思わない、自分もマンガに助けられてきた、とのこと。これで落ち着くとよいと思うのだが、振り上げた拳が下せない人も多いような気はする。このコメントには弁護士側の手もかなり入っているとは思うが基本的に本人の考えだと思うので、関係の方々もより冷静に対処して行けるといいと思う。

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フェミニズムというものについて少し考えるところがあったのだが、まだまとまってないのでまたそのうち欠けるとよいかなとは思う。いろいろと自分の中で整理が進んだ部分もあった。


「ふつうの軽音部」101話の爽やかさ/読者による小学館漫画単行本ボイコットの動きと草津冤罪事件/オールドメディアはなぜオールドなのか/意識高い運動の傲慢さとは/日本における「歩く」という文化

Posted at 26/03/08

3月8日(日)晴れ

昨夜は早い時間にうたた寝をしてしまい、昨日のうちに一度目が覚めたのだが、そのままうたた寝を1時半ごろに目が覚めたが、寝る前に風呂に入らずにそのまま寝てみるという実験をし、3時過ぎに目が覚めた。まあもう起きてしまえと思ってそれから入浴したのだが、やはり寝る前に入った方が腕の痛みは減るような気がする。実験失敗。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094914778813855

それから「ふつうの軽音部」101話「合同ライブが終わる」の更新を読み、なんとも爽やかな気分に。かなり重い話がこのライブの背後にあったので、それに関わる三者三様、水尾とレイハと純の3人が、それぞれ明るい方向に向かえそうなのがいいな、というか眩しいなと思った。もちろん現実はこんなふうにはうまくはいかないのだろうけど、それが音楽のちからで前に向いていく、純に関しては実直な弁護士のおじさんの大人としての言葉が重いわけだけど、そういうのも含めてある種のファンタジーであると言えなくはないが、でもそういう物語が世の中を明るくするということも確かなので、すごくいいなと思ったのだった。

それからいつものようにコメント欄とTwitterの感想を読み、それから「第2回人気投票」が始まったので、それぞれのキャラについての原作者のクワハリさんによる説明文がまた面白く、結局全員分読んでしまった。

https://www.shonenjump.com/p/sp/2603/vote_futsunokeon2/

と思ったら「葬送のフリーレン」も人気投票をやっていて、こちらはザインに投票した。なんとなくこのキャラが好きだなと思うので。

https://websunday.net/frieren2603/

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マンガワンをめぐる件について昨日と一昨日に取り上げたが、私としては編集部の対応に問題があったが、マツキタツヤさんの件については、それなりにきちんとプロセスを経て原作者として起用されているのでこの作品は守りたいし守るべきだということ、それから山本章一氏の件に関してはもちろん山本氏の方にも問題はあったがどっちもどっちという側面の方が自分には強く見えてきてしまうので、どちらの味方もしないが山本氏は大人で相手は未成年だという一点において謝罪と賠償はあった方がいいんではないかというスタンスなのだけど、なかなかそれは理解してもらいにくいようで、昨日一昨日はnoteのアクセス数もいいね数もかなり少なくなっていて、まあそんなもんかなと思ったりはする。

実際こういうのは当事者じゃないとわからないことが多く、周りでやいのやいの言ってるうちに人民裁判が始まったり魔女裁判になったりするのであまり良くないと思うし、特にマンガ家さんたちが「マンガワン」編集部に対してボイコットを始めたために読者の側が小学館から出ている例えば「葬送のフリーレン」などもボイコットする、という動きにつながって、マンガ家さんたちが慌てて「そこは分けて考えてくれ!」と言ってるのだけど、どうもその辺は「あなたたちが始めた物語では?」という気がしてしまう。いずれにしてもこのあたりのところは制度的に未成熟であるのと、マンガ家も読者も感情的に反応しすぎだということ、それはおそらくどちらも女性が多いということと関係するのだろうということを感じたので、いずれにしても冷静に客観的にみていくことが必要だと改めて思う。

こうした事情の背後には「理不尽を感じたら即行動をすべき」という間違った意味での知行合一的なフェミニズムの考え方が反映しているようには思う。

今回の事例とはもちろんいろいろな意味で違うのだが、ただ「有力者(有名人あるいはキラキラ職業)の性加害疑惑」ということにおいては共通しているのが草津町長の冤罪事件である。

https://x.com/harrier0516osk/status/2030131885100474736

「だから、女性の権利界隈が最も批判対象とすべきは,草津事案みたいなケースだと思うのですよね。
ああいうのが一定混ざる限り、裁判というシステムの中で反対尋問などの「誤り防止システム」が発動する必要がある
ところが、界隈は、草津事案については、批判は一切しておらず、むしろ、なんと「連帯」して加担していました。
ああやって、犬笛吹いて無辜の人を犯罪者呼ばわりする界隈がある限り、裁判システムは、現行のシステムより緩めてはいけない。それどころか,むしろ,今でも緩すぎると思います。」

これは本当にそうで、女性市議の一方的なレイプ告発に、多くの有名なフェミニストが一斉に町長攻撃に回った。しかし現実にはこれは全くの虚偽告発で、それなのに「レイプの町草津」などと一方的に宣伝されて相当な風評被害を町長も草津町も被ったわけである。

しかしそれが明確になり、元女性市議が法の裁きを受けたのちにも、公開で謝罪したフェミニストはほとんどいない。「理不尽だと思ったら行動する」のは即座なのに、「間違っていたら反省し謝罪する」が伴っていないのである。これでは暴走する機関車と同じで、社会にとって危険極まりない。

私は保守主義のスタンスではあるが、現実的には相当なまでにリベラルな社会にあるからこその保守主義であって60年前の世界に住んでいたらおそらくはリベラリストと称しているだろうと思う。上記のツイートには全くその通りだと思うし、フェミニズム界隈があのような事件への対応を真摯に反省して謝るべきものをちゃんと謝るようになっならかなり手強いだろうとは思う。

現状は未成熟なままでただ喚いている迷惑な女たちにしか見えないしだから若者から見捨てられている。本当にフェミニズムの運動を本邦に定着させたいのなら大人として社会に責任を持つ態度を取るべきなのは当然だろう。若者たちは私など以上に本質的にリベラルだから、女性の権利というものの理解ももっと進んでいるはずなのだが、一方的なフェミニストの言動に白けてしまって相手にしない姿勢になっていることに、もっとリベラルやフェミニストは自覚するべきだと思う。若者は保守化などしていない。理不尽な言動にNOを突きつけているだけである。

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それと関連するけれども、昨日は週刊文春の山本章一氏に関する記事を読み、典型的なオールドメディアだなと思ったのだが、それに関連してオールドメディアはなぜオールドなのか、ということを考えた。

それはつまりは「言いっぱなしで許される」と思っているところなのだろうと思う。この事件の裏テーマは「犯罪者の、特に表現者としての社会復帰」というところにあると思うのだが、週刊文春の記事を読んでもその点に真摯に向き合うという姿勢は全くない。それは文春が文春砲と言われるように相手を糾弾して木っ端微塵にすることだけを目指していて、その後に残った人たち(例えば加害者とか被害者とか言われる人たち)の「日常への復帰」「社会への復帰」について無関心だからであり、そういういわば繊細な問題については不得意だからで、その「言いっ放し」性がオールドなのだと思う。

だからことネットに関してはTwitterアカウントを作ったり新聞などでも識者がコメントをつけられるようにするなど、一定の双方向性を考慮しているような形は取っているが、文春アカウントがついたリプライに反論してるケースはないし、言わせっぱなしである。また新聞にしても誰がコメントをつけられるかは新聞側が決めているわけで、偏った人選になっていることも多い。

その対極なのがヤフコメだが、こちらはカオスというかどうでもいい感情の爆発を垂れ流すコメや変な誹謗中傷も多く、そういう意味ではあまり正常に機能していない。結局のところ一番まともに機能しているのはTwitterだと思うのだが、これも弱小アカウントがいくら読むべきところがあるポストをしても大アカウントに見つけられなければほとんど読まれないということもあり、なかなか難しい。

いずれにしても「言いっぱなしでない、議論の末に方向性が見えてくるメディア」がオールドでないメディアだと思うのだけど、そのありうべき形態はまだ見えてこないのが現状だろうと思う。noteやはてな匿名など、面白いメディアはいろいろあるが、これらを整理してこういうことではないかということを提示するのはまだできていない。ある意味こういうのはAIにならできるのかもしれないが、もしそういうものが出てきたら特定の政治勢力が自分たちの主張をめちゃくちゃAIに食わせてそれをコントロールするとかになるだろうし、結局は人の手でやるしかないんだろうなとも思う。

だから基本的には蟷螂の斧だなとは思いつつnoteやブログで発信するという試みを続けているのだけど、どうしたらより多くの人にそうした考えを届けられるのかは、まだ試行錯誤の段階ではある。

***

https://x.com/Taroupho/status/2030338140704227540

これは意識高い人たちの、「俺たち意識高い」という自意識のあり方が偽善と感じられるということへの告発なのだけど、確かにこういうものは自分が大学の頃もとても感じていたことで、結局そういう運動に絡む気がなくなった一つの大きな理由であり、そういう意味で懐かしく感じた。

まあ少し複雑だが、路上生活者を風景の一つとして描写するような短歌について「まなざす側の傲慢さ」みたいなものを得々と説く人に感じる傲慢さ、ということで、眼差したくらいで傲慢だというその傲慢さが気に入らないという話なのだけど、これはかなり前になるがホームレスの人たちと仲良くなって教えを乞おう、みたいな企画に対して批判が噴出したということと同じものがあり、まあ「いつものリベラルしぐさ」に対する腐臭嗅ぎ分けみたいな話だとは思った。

障害者の援助ということをやっている人に付き合って一度参加したことがあるのだが、その対象の人が障害者であるという理由で様々な理不尽に思えることも要求しているのをみて、こういうのに私は付き合えないなと思ったからそれきりにしたのだが、活動している人からはなぜこの活動を理解しないんだ、と怒られたわけである。その人はまあ純粋な気持ちでやっているのは分かったのでそれ以上言わなかったけれども、逆にそういう自分に酔ってるようなところを感じたら付き合いはしないがその強かな障害者とある意味対等だなと感じただろうと思うのだけど、こちらが搾取されてるような感じになる運動は不本意だなとその時は思ったわけである。

まあ運動周りのことはなんでもこういうグジャグジャした感じのことが出てきてどうも私は真っ平御免という感じになってしまうのだけど、その辺のところがもっと整理された感じになるのでなければ、なかなか広がらないんじゃないかなとも思う。

***

なんかぐずぐずした話ばかりになってしまったが、最後に面白いなと思ったこと。

https://x.com/SustainableTall/status/2030179699859829045

つまり、これは日本語には「歩く」ということに関して36もの言葉がある、という話である。言語学的に妥当なのかどうかはわからないが、普段あたりまえだと思っていることを改めて指摘された感じがあって面白い。

確かに、日本においては「歩く」ということが文化の一部になっていると思う。その歩き方に色々な表現があるというのがその根拠だろう。イヌイット語には雪についての一次名詞が豊富にあるという話があったが、日本語の歩くに関する言葉は一次名詞ということはないが、それでも十分に様々な歩き方を表現しているとは思う。

特に能や歌舞伎などの舞台表現に関しては本当に細やかな表現があるから、日本語の舞台芸術の基礎が「歩き」に、そしてそのバリエーションである「舞」にあるということがよくわかる。韓国の舞台表現は三拍子の「踊り」で日本の表現は二拍子の「舞」だ、というのは以前読んだことがあったが、その基本が「歩き」にあるということも言えるんじゃないかと思う。そこには歩くことへの日本人のこだわりが現れているということなのではないかと言われると、そうかもね、と思ったのだった。

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