イランでのNHK支局長拘束と日イ関係/「イスラムのジャーナリズム観」と「イランとイスラムの微妙な関係」/本当の「中道」と国民民主党

Posted at 26/02/26

2月26日(木)曇り

昨日はほぼ一日雨で、屋外作業ができなかったので少しゆっくりできた面もあったが、家の中のこともしなければいけないことは結構あって、マンガ雑誌や単行本を作業場に運んだり風呂掃除をしたり。午前中に会計関係を少しやって銀行と郵便局に行き、クリーニングを出して、書店に行って「SHIORI EXPERIENCE」の25巻と「ビッグガンガン」の3号を買って、イオンに行ってATMでお金を入金し、パンを買って帰った。午後は本を読んだり出納帳をつけたり。実家や作業場の片付けをもう少ししたかったがあまり時間はなかった。

***

https://digital.asahi.com/articles/ASV2T11PGV2TUHBI02TM.html

イランで1月20日ごろNHKのテヘラン支局長が拘束され、収容所に入れられたというニュースがあった。これはイランの反政府デモが激しい時期であり、おそらくはその取材等と関係することなのだろうと思うが、西側目でディアで数少ないテヘラン支局を持つNHKがなぜこのデモをあまり報じないのか、ということは当時から言われていたので、そういうこともおそらくこの高速と関係はあるのではないかとは思う。

https://www.meij.or.jp/kawara/2025_125.html

今回の一連のデモの中で拘束されたジャーナリストは少なくとも7人いるそうだが、外国人記者の拘束は他に報告されていないとのこと。よく知られているように日本とイランの関係は革命後も比較的良好で、そのため1980年代以降多くのイラン人が来日していたことは当時のことを覚えている人なら記憶にあるだろうと思う。ダルビッシュ投手をはじめとして、スポーツ界でのイラン系の活躍もある。

ここ数年はアメリカのイラン包囲網が厳しくなってきたこともあり、以前ほどの交流の深さは無くなってきたし、イランの革命防衛隊の活動の実態やヒズボラやハマスなどへの援助による中東においてのテロリストの後ろ盾として動いてきたことが報道される中で、我が国においてもイランに対する見方は厳しくなってきたし、昨年のイスラエルとの12日間戦争と全国的な反政府デモ以降、イラン当局もかなり追い詰められてきたことは確かなので、苦し紛れの一手である気はするのだが、それだけに予断は許さず、無事に解放されることを祈るしかない感じではある。日本もイラン側と交渉はしていると思うが、どういう方向に話が進むのかはそう簡単ではないなとは思う。

https://note.com/cafebaghdad/n/n117f10aacb3b

こちらは執筆されているのは15年前の日本メディアのテヘラン支局長経験者の方とのことだが、イラン当局は「世界に報道していい内容」と「報道を許さない内容」を峻別していて、事前通告した内容の取材しか許さず、そこから外れると容赦なく拘束する、とのこと。平穏に見えている時が危ないとのことだが、今回はまさに世論が沸き立っていた時期であり、平常時とは比べ物にならない緊張感があっただろう。拘束の事情がわからないので個別具体的な行動に対してなのか、あるいはそうした根拠のない拘束なのか、もし後者なら政治的なものを狙っていることになるけれども、今まで報道が出てはいないが政府の発言を見るとイランとの交渉もしているし本人や家族との連絡も取れているとのことなので、そうした政治的な交渉材料としての拘束という可能性がかなり大きいように思うし、そうなるとおそらくは日本政府に対して何か要求がある、例えばアメリカとこのように交渉せよ、みたいな要求がある可能性もあるのかもしれない。

当然ながら独裁国家において「報道の自由」というものが制限されているのは当然なのだけど、それは中国やロシアにおける報道の制限とはまた違う様相があるのではないかと思う。

これはGoogleのAIによるまとめだが、イスラムのジャーナリズム観は

「イスラムにおけるジャーナリズム観は、単に事実を客観的に伝えるという西洋的な「事実報道」の枠を超え、「社会の改善」「真実の追求」「正義の推進」を重視する独自の倫理観に基づいています。メディアは、アッラーの教えに基づき、良いことを広め、悪を禁ずる(アマル・マアルーフ・ナヒ・ムンカル)ための手段として認識されています。」

「イスラムのメディア専門家は、完全な客観性は神話であると批判することがあります。その代わり、人間社会における「正義」や「福祉」を基準とした価値ある報道(価値関与型)を重視する傾向があります。」

とのことである。これは日本の、すなわち左派リベラルのジャーナリズム観に似ている面があるが、要は客観性よりもある視点からの社会正義の実現のための手段と捉えているということだろうと思う。「エビデンス?ねえよそんなもん」と放言した朝日新聞記者の言葉よりはマシのようには思うが。

https://asiandocs.co.jp/contents/45

また上記は「我らはジャーナリスト 報道の不自由な国イラン」という映画の説明で、主にアフマディネジャド大統領時代の報道の困難さについての話が出てくるが、

「イラン人ジャーナリストたちが、口々に証言します。「イランでのジャーナリズムは、牢の中のジャーナリズム」。「イランでのジャーナリズムは、狼と踊るようなもの」。「イランでのジャーナリズムは、猫から逃げる鼠」。「イランでのジャーナリズムは、地雷原での散歩」。「俺たちは剃刀の刃を渡る」。イランでの報道の仕事が、いかに危険で理不尽なものであるかを彼らの言葉が物語っています。」

とのことである。

*

https://gendai.media/articles/-/130565

https://gendai.media/articles/-/130571

イランの実態は上の二つの記事を読むとかなり蒙を啓かれる感じがあるのだが、イスラムは外来宗教であるという意識が強くなってきているというのは他の記事を読んでいても感じるところだった。そうなると、「イスラム共和国」政府というのはイラン国民の上に乗っかったある種の神輿にすぎず、それを維持するためにさまざまな弾圧手段をとっているのだなと感じられる。ある意味イランは非常に近代的な国だと感じられるし、その上に宗教的な政府が乗っかるとどうなるかという実験的な国家であるようにも見える。

そういう意味では今回の支局長の拘束は、「イスラムの論理」や「イスラムのジャーナリズム観」に基づいた拘束というものではなく、「イランイスラム共和国という独裁国家の意向」によって行われたものだと考えるべきだなと思う。

これはある意味日本にとってはイランからの「国家間関係の悪化」を告げるシグナルとも取れるが、こういう場面では間接的に中国やロシアがお為ごかしに口を聞いてくる可能性もあるなという気もして、その辺のところはうまくやってもらいたいなと思う感じはある。

私とイラン人との具体的な関わりは学生時代に大韓航空でソウル・カタール・ジッダ経由の南回りでヨーロッパに行ったときに帰国便の時に隣に座ったおっさんがイラン人でいかにも金持ち然としていてエルメスとかグッチとかそういうブランド品はいいぞ!みたいな話をしていた、ということしかないのだが、イランのパスポートを見せたのでおそらくイラン在住だったのだと思うが、イスラム共和国を名乗る清貧イメージのイランにこんな成金ぽいおっさんがいるのか、本当は亡命者だったんじゃないかなどと思っていたのだけど、上のレポートを読むとそういう人もいるのかも、という気もしてきた。面白そうな国であることは確かなのだが、記者の方は1日も早く解放されることを期待したい。

***

今の日本において本当の中道とはどのポジションなのだろうか、と考えていたのだが、公明党と立憲民主党が合体してできて「中道改革連合」というのはやはり国民全体の中では左寄りすぎるように思ったからである。

少なくとも「左派」と「リベラル」の間が「中道」ということはないだろうし、参加者としても「保守」と「左翼リベラル」の間が「中道」だ、という意識で参加したのだろうと思う。1970年代後半の「保革伯仲」時代に、中道政党と言われたのは公明党と民社党だったと記憶しているし、それに社会党を加えた「社公民三党」というのが自民党に変わる連立の枠組みとして意識されていたと思う。当時はまだ社会党の勢力が強かったし、社会党内部でも構造改革派と言われる党内右派もいたが、基本的に左派が強かったので、中道勢力というのはあまりないというのが実態だっただろう。

90年代の政治改革の時代に細川連立政権などを経て「中道」に見える「改革」の諸政党が出てきて、それが日本新党や新政党、新進党などであったわけだが、結局は民主党系の政党に収斂していき、安全保障に関しては曖昧な立場の政党が自民党と対峙する形になった。

民主党は立憲民主党と国民民主党に再分裂したため、立憲民主党の左派色がかなり強まり、国民民主党は民社党系の安全保障はリアリズムで他の政策は比較的リベラルという方向になった。民社党時代は労組組織も同盟で社会党系の総評とは別団体だったが、今は連合に統一されているのでその辺りの縛りが国民民主党をどっちつかずのものにしている。

日本の有権者の現在の実態を見ていると、本当の中道というのは保守と(左派でない)リベラルの間であり、大体国民民主党のあたりが中道なのだと思う。安全保障政策的には現実的で自衛隊容認と憲法九条改正は基本的には国民の多数の支持を得ていると思われるので、その意味ではその辺りが中道だろう。また、その他の政策に関しては現役世代の手取りを増やすという労働者重視の政策をきちんと打ち出している点でも国民の支持はあると思われる。

ただ、その他の政策を見ると大丈夫かと思われるような左派リベラル政策も時に見られ、ちょっと迷走している感もなくはない。国民民主党ははっきりと男性の方が支持者が多い政党だと思うのだが、それゆえに女性の支持を得ようと女性候補の擁立に力を入れているように見えるのだけど、多くの候補者が問題を起こしたりトラブルになっていることである。自民党自体が今は女性候補の方が縁故や官僚経験のない場合には立候補しやすい状況になっているくらい女性候補は増えているのだが、国民民主党が慌ててそれに乗ることはないと思う。しっかりした男性候補を立てて行った方がむしろ結果的に良くなるのではないかという気はする。

この辺りは国民民主党の自己認識と国民からの期待の間に乖離があるように思われるので、その辺はなるべく国民の期待に合わせて行った方がいいように思われる。

現在の日本で望ましい二大政党は保守政党と中道リベラル(左派でない)政党によるものだと思われるので、国民民主党がそれを実現できるようになることを期待はしている。


「今はもうAIしか論文を読まない」と「AIは信用できるか」/「コスパ意識」と「教養の意味」/「人の話を聞くこと」と「話の面白さ・わかりやすさ」

Posted at 26/02/25

2月25日(水)雨

今朝は朝から雨が降っていて、気温はそんなに低くない。5時に起きたがその時の気温は10度を超えていた。今は8.6度なのでむしろ下がっているのだが、天気図を見ると前線が通過したということなのかなと思う。前線は停滞前線なのだが、この時期にこんなものが出るということはそんなに珍しくはないのだろうか。

昨日は午前中少し畑で竹を切って入浴してから銀行やスーパーに出かけ、午後は昼食を食べてからまた裏の畑で竹を切っていたのだが、だいぶ見通しが立ってきたので少し安心した感がある。見通しが立ってくるとやる気も出てくるのだが、今日はあいにくの雨で、まあここのところ忙しかったから一休みしろということかなと思う。家の中の仕事とかは結構たくさんあるのだが。

***

社会や政治絡みのことで書きたいことが今日はないなあと思いながらTwitterを見ていたのだが、印象に残ったものについて少し書いてみたい。

https://x.com/TJO_datasci/status/2026168795342192725

「コンピュータサイエンスに三角関数は不要か否かという議論がバズっているのを見かけて、「〇〇は無駄だから勉強しなくて良い」という口実で若い人たちが勉強する量を減らそうとする行為自体が浅ましいなと思った。若くて脳が柔軟なうちに沢山勉強して身に付けることの重要さを理解していない議論かと」

若者のコスパ志向はかなり極端に進んでいる感じはする。ただいつの時代でも、そんなに無駄なことを好む人たちはいないわけで、「教養」というバックグラウンドの形成の意味に自覚的なのは経験を積んだ大人の方であり、信用できる大人に感化ないし薫陶・影響を受けてそのように考える一部の若者が深く幅広い実力を身につける、ということが繰り返されてきたのだと思う。

そういう意味では国立大学で5教科を課すことなどが極端に走らない歯止めになっていると思うし、コンピュータサイエンスにおいても今現在必要がなくてもそういう分野を踏まえた新しいジャンルが出てくることなどは日常茶飯事なので、数学や物理などにおいても基本的な教養レベル、そしてその基礎になる高校レベルの内容は全て身につけておいて損はない。

こういうIT技術やAI技術が進展していく過渡期の現在において、「教養」とか「ものを知る」ということの価値は等閑にされがちなのだけど、立ち止まって振り返り、自分自身を検証するときに、そうした教養こそがそれを可能にするということがつまづいたことのない人にはわかりにくいのだろうなと思う。

左翼リベラルの頭のいい、教養もあるはずの人たちが、特定の固定化された教義や「謝ったら破滅だ」という意識に囚われて自分を振り返ることができないでいるのは見ていて痛々しいし気の毒だとは思うのだが、教養を踏まえた上で他者を批判するのと自分の知っている教義だけで相手を攻撃するのとでは自分自身に返ってくるものが違う。寂しい死に方をしたくなければ幅広い教養を持った方が良い死に方ができるような気はする。

https://x.com/Takenoko1080/status/2026214021435900414

「音楽教室から出てきたお母さんが息子くんに「ピアノを弾く弾かないという話ではなく、まず人の話を聞くという姿勢がなってなさすぎる。人から習うということは人の話を聞くということ。これが出来ないのなら習い事の意味はないので改善しないようなら習い事を全てやめる」とお説教をしていてその言葉にとても感銘を受けたので、いつか部下に説教する時が来たら丸パクリしようと思い立ち、ここにメモする。」

こういう「コスパ意識」というものは「人の話を聞くのは無駄」という子供っぽい意識とも重なる部分がある気がする。「人から習うということは人の話を聞くこと」というのはまさにその通りで、私なども子供の頃はかなりそれが苦手だったからこの子供のことを笑えないなと思う。

ただ、私は人の話を聞くのが苦手だったから、いつも「もっと面白くわかりやすく話してくれたらもっと聞く気がするのに」と思っていた。だから自分が話をするときや文章を書くときにはなるべく面白くわかりやすくしよう、というのが習い性になっているところはある。もちろんわざと曖昧にわかりにくくすることもあるのだけど、それはまあそういう作戦の時に限る。これは多分、私だけでなく話が面白い人、文章が面白い人の一つの特徴ではないかと思う。人の話がつまらないから自分は面白くしようと思うわけである。大学の先生などには時々そういう人がいて、なんか同類だなと感じる時がある。

人の話を聞いたり本を読んだりするのは基本的にめんどくささと無縁ではない。読んだら面白いと分かっていても面倒な時はある。だから、コスパ意識やめんどくささに負けないくらいの面白さは持とうと私などは心がけてはいるわけである。

https://x.com/koro485/status/2026371493668507810

「様々なジャーナルで、それまでずっとフラットトレンドだった論文ダウンロード数が2024年9月ごろから激減しているみたいで、要するにAIしか論文読まなくなってるっぽいな。」

そして極め付けはこれである。学者・研究者というのは論文を書くだけでなく読むのが主要な仕事の一つであるわけだけど、その学者ですらAIに論文を読ませて自分では読まなくなっている、というわけである。この方の他のポストも読んでいると「よくないAIの使い方」にもいろいろ言及しているけれども、自分にとってあまり身近でない分野の論文をAIにまとめさせて概要を掴む、という程度ならまあいいかとは思うが、少なくともそれを自分の論文で言及するようなことがあれば原文をあたるべきなのは当然だろう。

自分の考えの先行研究がないかというようなことを調べるにはかなり有効だとは思うし昔はそこで相当労力を使っていたからそこはありがたいとは思うのだが、「AIしか論文を読まない」というのはかなり笑ってしまったけれども、下手をしたらそのうち「AIしか論文を書かない」にもなりかねないわけで、それはどう考えても人類の進歩にとっては弊害なのではないかとは思う。

こうなってしまうのは論文をいちいち読むのは「コスパが良くない」という意識だろう。私も若い頃は新しい分野について知ろうと思ったときに、歯がたたなそうな専門的なものではなく、講談社現代新書などのその分野の概説書を読むことが多く、それだけで済ませてしまうことも多々あった。

こういうのも基本的にはAIに論文を読ませて自分はそのまとめしか読まない、というのと一脈通じるところがあるから自分もそんなに偉そうなことは言えないのだけど、まあ自分がAIにそんなに頼らないのはAI(やそのまとめ)がいまいち信用できないからで、そこは今のところコスパに優先する部分だなとは思う。

AIが言っている営業時間を信用して行ってみたら閉まっていた、みたいなことは実際よくあるし、その情報の誤りに責任を持つ人がいないというのもAI信頼できない根本なのだよなと思う。人間の書いた文章なら苦情を言う相手もいるが、AIだとそれを信じた方が間抜けだった、と言うことにしかならないわけだし。

「AIは信用できる」と言う仮定に基づいて行動するのはおそらくコスパが良く面倒も少ないことだとは思うが、それが自分をどこに連れていくかと考えるとちょっと怖いなと思ってしまうのだけど、そう言う人は今ではもう少数派なのだろうか。そうでもないのだろうか。

「チームみらい」の韓国における人気と深刻な世代間≒保守リベラル対立/高市首相演説の「春秋左氏伝」引用の含意を深読みする/「宙飛ぶバイオリン」3巻:演奏者であることに拠る自立とリスペクト

Posted at 26/02/24

2月24日(火)晴れ

昨日はだいぶ気温が上がっていたが、今朝もあまり冷え込んでいない。今朝の最低気温は0.8度で、6時半ごろに外に出たら少し暖かい感じだった。ゴミをまとめて車で出しに行き、そのままセブンまで走ってジャンプとヤンマガを買おうとしたらジャンプしかなく、ジャンプとボスのカフェオレを買った。そのままお城の近くのファミマへ行ってヤンマガとエビアンを買おうとしたら今度はエビアンがなかったのでヤンマガだけ買った。どうもいろいろなんだかなあである。そのまま職場まで走り、少し仕事をして実家に戻った。

昨日は8時前に車を少し離れた駐車場から近くの駐車場に移し、午前中にブログを書こうとしたのだが日曜日がブログネタになるようなインプットがなかったのであまり書けず、日常的な日記のみ書いて後で何か出てきたら追加で更新することにした。11時ごろに家を出て駅まで歩くが、喉が渇いて途中の自販機で飲み物を買ったりした。大手町まで行って丸の内の丸善で本を探す。

https://amzn.to/3ZXc2P8

三原和人「宙飛ぶバイオリン」3巻を探すのにちょっと苦労したが見つけられてよかった。後で読んだがやはりこの巻はとてもいい。「宇宙人」のテセラに自分の音楽を聞かせる、ということで自分自身と向き合っていく吉田の心の動きと、ライバル、競争相手、敵としか見られなかったこっそりピアノを弾くクラスメートやコンクールの出場者たちを同じ「演奏家」「バイオリニスト」「奏者」として尊敬しそこにおいて対等に立とうとすることで自分を確立していく過程。「はじめアルゴリズム」ではどちらかというと教育者側の葛藤が、「ワールドイズダンシング」では世界に守られたり敵対したりしながら美しくもあり残酷でもある世界を吸収しつつ新しいものを作り上げていく喜びの端緒が描かれていたけれども、今回の「宙飛ぶバイオリン」は「演奏者」が自分を取り戻していくことで本来の演奏という行為の持つ隔絶性のようなものを回復していく様子が描かれていて、なんというか作品が現世に降り立ったような感じがした。連載では吉田が実際に演奏する場面が描かれたところだが、この先の展開も楽しみにしたい。

https://amzn.to/4scrSlc

それからもう一冊買ったのが「春秋左氏伝(中)」(岩波文庫、1989)。これは高市総理の施政方針演説に引用されていた語句の文脈を確認したいと思って買った。この辺りのことは河野有理さんがTwitterで書かれていたので自分でも読んで考えてみたいと思ったのである。

https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0220shiseihoshin.html

「信以て義を行い、義以て命(めい)を成す」

という言葉が出てくるのは魯の成公8年(紀元前583年)の章だが、この言葉が出てくるのは(大国)晋が(小国)魯のために(大国)斉から取り戻してやったブン(さんずいに文)陽の土地を斉に返還せよという使者を送ってきたときに、季文子が使者に内々に伝えた話の中に出てくるのだが、もともと魯の国のものだったこの土地を晋は取り戻してくれたが、再びそれを返せというのは信頼に背くものである、という話である。

「信以て義を行い、義以て命を成す」、信頼によって正義を実行し、その正義を持って以前の命令を守ってくれれば小国は大国を信頼するが、それを蔑ろにすれば晋を中心とした会盟はバラバラになってしまうので、忠告する、というないようなわけである。

要するに、一度国民に対して公約した、約束した内容は必ず実行する、という文脈で言っているのだということはわかるし、とってつけたように春秋左氏伝を引用したのは、中国のような大国はきちんと約束を守らないと中国を中心とした国際秩序が崩壊するぞ、という警告をしたというふうにも読み取れないことはない。晋は春秋時代の大国だが、春秋時代末期には大夫たちによって国が壟断されるようになり、最終的には韓・魏・趙の3国に分裂して滅びるわけだが、そこまで読ませたいと思ったのかどうかはわからない。

こういうのは漢字文化圏だからこそ通じる話なのだが、高市さんがどのくらい寛文に精通しているのか、あるいは誰かのアドバイスによるものかはわからないにしても、どこまで何を意図しているのか後でわかるのかも知れず、この辺りに教養というものの真価はあるのだよな、とは思った。

丸善で本を買った後丸ビル地下の成城石井に行って弁当とインスタント味噌汁を買い、大手町まで歩いて帰宅。ついでにおにぎりでも買おうと思ったが、1個300円近くしたのでやめた。

帰宅して弁当を食べ、早めに出ようと思ったのだがなんだかぐずぐずしてしまい、3時半ごろになった。近くのローソン併設のスタンドに行ってガソリンを入れたが、長野県よりはかなり安いなと思った。コーヒーとソイジョイを買って出発。道はそんなに混んでなくて、首都高でもほぼ順調な流れ。西新宿の山手トンネルとの合流を過ぎた頃からなぜか混みだして、三鷹料金所くらいまで時々流れが悪くなる感じだった。石川PAについたのは4時半を過ぎていたが、胃の調子もあるのでラーメンはやめてそのまま走った。途中境川PAで休憩してどこかでご飯を食べるか考えたがあまりそんな気にもならず、結局実家の地元のインターまで走ってスーパーでレンジでチンする式のラーメンと白米を買い、実家に着いたのは7時ごろだった。

帰ってきて夕食を食べたらすぐ眠くなり、うたた寝をしてしまったのだが気がついたら12時。歯を磨いて入浴してジャンプ+で「ダンダダン」の更新だけ読んで寝ようと思ったがうまく寝付けず、床に入ったり起きたりして最終的に寝たのが3時半ごろ。起きたら6時だったからうたた寝時間の方が長いくらいなのだが、どうも最近そういう感じで落ち着かなくて困る。腕の痛いのもまだあまり引かないが、まあストレス的なものもあるのだろうなとは思う。

***

https://gendai.media/articles/-/164252

韓国で「チームみらい」が大変話題になっているという話。その背景には世代対立があるとのこと。「他党を誹謗中傷せず政策で勝負した点、ポピュリズム競争を拒否した点、保守・進歩(リベラル)の理念対決に陥らなかった点などが、既存の政治に疲弊し変化を渇望する有権者に響いた」との分析が取り上げられていたが、つまりは韓国の政治的現実はその正反対になっているということのようだ。

「「韓国社会の進歩(リベラル)・保守間の葛藤が深刻である」と答えた国民は、実に92%に達した。これは、他の葛藤項目である所得階層間の葛藤(77.3%)、世代間葛藤(72.8%)、地域間葛(69.5%)、ジェンダー葛藤(61%)に対する同意を圧倒する数値」だとのことで、韓国といえば地域対立やジェンダー対立のイメージがあるが、昨年の尹前大統領の戒厳令布告やその違法性を問われての解任などに見られる保守とリベラルの対立はかなりひどいものになっているなと再認識した。

今回へえっと思ったのは40代50代の世代と20代30代の若者とのジェネレーション対立の話である。「

韓国は人口構造で最も厚い層である40代・50代の価値観に振り回される「ヤング・フォーティー民主主義」の只中にある。かつては「若々しい感性を持つ中年」を指したこの言葉も、今や若者の間では「思考は古い理念の枠に閉じ込められた既得権益層」を揶揄する代名詞となった。」

のだそうだ。つまりは「ヤング」とは「もう若くないのにいつまでも若者ぶっている中年」を揶揄する文脈で使われているということである。「ヤング」な人たちは上から目線で説教くさく、現役世代を圧迫する高福祉を推進し、若者たちの反感を買っているが、その不満を吸収する器がないということで、「チームみらい」が注目されている、ということのようだった。

https://gendai.media/articles/-/158296

こちらは同じ記者の昨年9月の記事だが、この世代対立をより深く描写している。「ヤングフォーティー」の世代は70年代後半生まれでX世代とも言われていて、韓国の文化輸出が盛んになった90年代に文化的中心になっていて、一方でアジア通貨危機などで青春を十分に謳歌できなかったという思いがあり、いつまでも若者ぶって振る舞っている勘違い親父に若い世代からは見えるというわけである。40代の7−8割がリベラルの民主党支持なのだそうだ。

一方で20−30代のMZ世代はヤングフォーティーが好むオレンジ色のiPhone17を忌避するなど、経済にも影響が出てきているのだそうだ。彼ら20代、特に男性には上の世代から厳しい視線があるのだそうで、

「若い男性に対する蔑称には「イデナム」という新造語がある。「20代男性」という意味だが、フェミニズムに強い反感を持ち、政治的には全世代の中で最も保守的な若い男性層を指す時に主に使われる。 
 彼らは、尹錫悦元大統領の非常戒厳令に最も共感する世代で、「反弾」(弾劾反対)運動を中心となって導いた。メディアでは「極右」という言葉と一脈相通じる用語で使用しており、「共に民主党」の支持者はもちろん、政治家たちは露骨に彼らを「敵」と規定している。」

のだという。

「韓国社会の主流となり、経済的に豊かで安定した生活を手に入れたが、いつまでも成長できず自己中心的なヤング・フォーティーたちと、目覚しい経済成長の実を中年にすべて奪われてしまったと思うイデナムたちとの反目は、韓国社会の深刻な格差問題に起因すると思われる」

ということで、今までの韓国に対するイメージがかなり変わってきたが、自分の中でも「韓国の若者」というとX世代のことを指すという認識があったので、尹大統領弾劾に反対するとか反フェミニズムというのは彼らも変わったのだなと思っていたのだけど、実際には変わったのは彼らではなく、彼らの後から出てきた世代が上の世代とは全く違う考え方を持つようになっていた、ということだったのは色々と考えさせられた。

韓国というと朝鮮王朝時代からの激しい党争のイメージがあるけれども、なんというか民主主義社会がそれなりに成熟してきて、そうした対立を超越したところでの政治を期待するようになってきているのだなと思う。今日本の若者が韓国の文化に惹かれるのはそういう新しい世代の文化なのだろうなと思うし、そういう世代の文化的リーダーや著作家、あるいは政治的リーダーとしてどういう人たちが出てくるのかは、注目していくと良いかも知れないと思った。

昔の人たちに会う

Posted at 26/02/23

2月23日(月・天皇誕生日)晴れ

昨日は午前中に実家を出て車で帰宅。水はあったのでセブンでコーヒーを買い、国道がもう混んでいたので抜け道をいくつか使って地元のインターまで。割と早く着いたのでだいたい正解だったようだ。それから八ヶ岳PAまで走って休憩。腕が痛いので休憩を多めにしていこうと思っていたのだけど、走っているうちに割と大丈夫かなという気はしてきた。痛いことは痛いのだが、どのようにハンドルに手を置けば痛みをあまり感じないで済むかとか、そういうことがだんだんつかめてきた。車は少ないところは少なく、すんなりと釈迦堂PAまで。

腕が辛かったら途中で昼食を、と思ったが行けそうなので釈迦堂で弁当を買い、帰ってから食べることにした。次の休憩は石川PAだが、ここでも割と余裕で入れて、連休中だから少し混むことを覚悟していたのだけどそれほどでもなくてよかった。高井戸まではずっと順調だったが、永福の料金所で少し渋滞。それでも首都高内もほぼ順調で、自宅に帰着したのは2時過ぎだった。今回もすぐ隣の駐車場が満車だった(5台分のうち1台使用できなくなっている)ので車を回して裏の駐車場に停めた。こちらは止めにくいスペースもあるのだが昨日は割といいところが空いていて、助かった。昼食を食べてから入浴し、腕を暖める。横になっても返って痛かったりはするのだが、入浴が一番楽になる感じはする。

少し早めに出て本を買おうと思っていたのだが結局あまり早めに出られず、駅前の文教堂で本を見たが欲しいのはなかった。待ち合わせの時間に少し遅れて集まりの駅に着いたのだがもういなくて、直接店に行ったら開店前でみな外でたむろしていた。

11月に教員時代の人たちと集まって食事会をしたのだけど、そのときに生徒と連絡を取ったら会いましょうということになり、生徒たち(と言ってももうみな50代だが)と先生方で飲むという会になったわけなのだが、昔の話を思い出したり、こんなことが実はあったとか、いない人たちのエピソードも含めて、楽しく飲めてよかったなと思う。二次会まで含めて帰りは10時半ころになり、帰ってきてもうすぐばたんキューと寝た感じだった。久しぶりに少し飲みすぎた感はあるが。

今朝起きたときには雨が降っていて、ローソンに朝ご飯を買いに行ったときは傘をさしていったのだが、もう天気はよくなっていて、ほんの少しのお湿りという感じだったのだなと思う。

日常雑記以外の書くことを考えていたのだけど思いつかないのでとりあえずnoteは更新しておこう。書店に本を買いに行こうと思っているので、そこで刺激を受けたらまた何か追加するかもしれない。

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