歴史学と政治学はどちらが「格上」か/アイデンティティとリアリズム:アイデンティティ戦争の21世紀に/「池上遼一短編集」「シテの花」「ハーレム勇者伝説」など

Posted at 26/01/31

1月31日(土)晴れ

今日で2026年1月も終わり。日本にとっても世界にとっても色々と大変な日々が続いているが、個人的にもいろいろ忙しい感じで、長かったような短かったような不思議な感覚だ。

昨日は午前中、というか11時過ぎに出かけて銀行で書類を提出したり記帳たりし、西友に行ってお昼を買ってツタヤに走って「トリリオンゲーム」の最終11巻、「らーめん再遊記」の14巻を買ったのだが、「池上遼一短編集 こぶしざむらい」が出ていたのでそれも買った。今見るとこれは原作がトリリオンゲームの稲垣理一郎さんだということに気づき、初出を見ると2015年と2020年なので、「トリリオンゲーム」以前の作品だと知った。というか、稲垣さん原作の「Dr.Stone」の連載が2017-22年なので「Dr.Stone」以前から書かれていた作品なのだということを今知った。掲載はスペリオールなので「トリリオンゲーム」の前段階とも言えるし、実は池上・稲垣コンビは10年以上前からだというのがわかってへえっと思ったのだった。

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中身はまだ読みかけだが主人公が「江戸城が欲しい」とか言い出していて、トリオネアになりたいという野望を持ったり「ククク・・・唆るぜこれは」と言ったりするタイプの主人公だなと思ったし、ガクやリンリンみたいな感じのキャラクターも出てきていて、ある種のプロトタイプかもしれないなとは思った。ゆっくり時間がある時に読んでみたい。

早めに家に戻って昼食を取り、少し休んでから出かけて湖畔の近くのケーキ屋でケーキを買ってから母の入っている施設に面会に行った。昨日は妹の誕生日だということと、今週は病院に行かないのでちょっと調子を確認しておきたいということもあって会いに行ったのだが、まあまあ調子は良さそうなのでよかった。「誕生日だから手紙を書いているのだが、まだ書けてない」ということを10回くらい繰り返していたが、短期記憶はともかく長期記憶はそれなりにしっかりはしているのでまあ年相応ということだろう。10日前に90歳になったということもあり。

一昨日の夜は変な眠り方をしてしまったということもあり、昨夜は夕食を食べた後何もしないで寝たので、まだ「葬送のフリーレン」のアニメは見ていない。時間がある時に見ようと思う。

今朝起きたのは5時前で、ストーブが消えかかっていたので灯油を入れに下に降りて時計を見たら5時前だったから起きることにした。少し寒いなと思いながら洗濯機を回そうとしたら水が出ない。これは結構冷えているなと思ってスマホを見たらマイナス8度台だった。今の所の最低気温がマイナス9.6度なので、かなり冷え込んでいることは間違いない。

5時半をすぎてから出かけて職場で少し用事をして、隣町まで走ってセブン併設のスタンドで給油し、丘の上のデイリーで塩パンとスタバのラテを買って帰ってきた。帰ってから寒いので一度入浴したが寒いとタンクのお湯が冷えるのでぬるいかなと思ったら結構熱くて少し驚いたが、温まったのでよかった。しかし居間でもストーブとファンヒーターの二つをつけているのにいつまで経っても15度以上にならないくらいは家の中が冷えている。

https://www.sunday-webry.com/episode/12207421983322890846

土曜日はジャンププラスの連載の「2.5次元の誘惑(リリサ)」が終わってしまい、読むものが少なくなっているのだが、「サンデーうぇぶり」に移籍した「シテの花」の更新が土曜日なのでそれを楽しみにするかなと思っていて、それでもジャンプ+では「野球・文明・エイリアン」「生活マン」「このクラスにギャルはいない」の3作は読んでいる。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913779622512

インディーズ連載2回目の「ハーレム勇者伝説」がアクセス数で曜日の2位、コメント数でも2位につけていて、へえっと思って1話から読み直したがめちゃくちゃ面白かった。作者さんは四コマを書いていた人でジャンプルーキーで連載権を獲得したということだろうか、インディーズ連載を始めたようなのだけど、この感じでいくと「幼稚園WARS」や「ラーメン赤猫」のようにインディーズからの連載獲得になるのではないかと期待を持った。「ふつうの軽音部」はルーキーからいきなり本連載なのでもっとすごいのだけど、やはり日本には才能のある人がゴロゴロいるなと改めて頼もしく思った。

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外交史家・国際政治学者の入江昭氏が亡くなり、その経歴がアメリカでは例えばWikipediaなどでも「historian」となっているのに対し、日本ではWikipediaでも「国際政治学者」になっていることがTwitterで話題になっていて、それはつまり日本では「歴史学」より「政治学」や「法学」が格上になっているから、という指摘がされていて、歴史学専攻だった私などは心外な気がしたのだが、それは「法学部」の方が「文学部」より格上だと思われているからだ、という指摘があって非常に腑に落ちるところがあった。

私は高校時代もともと就職とかあまり考えずにやりたいことを考えた結果歴史学を大きな候補として捉えて最終的に西洋史学科へ行ったのだが、自分として法学部の方が文学部より格上だとかは思ったことがなかった。東大ができたときも法学部と文学部は理学部と医学部と並んで当初からあった学部であり、格の遜色があるということを考えたこともなかったのだが、大学生の時に総合図書館はもちろん、文学部や教育学部や教養学部など他の学部の図書館も基本的に自由に使えたのだが、法学部だけやたら使いにくく、法学部にあるフランス語の本を借りられなかったので仕方なく原書を大枚はたいて買ったことがあり、その時から法学部にはちょっと含むところがあったのだが、これはつまり法学部が「威張っている」ということの表れであるのだなと後になって気がついたわけである。

私は基本的にそういうスクールカースト的な考え方に基本的に疎いところがあって、今更そんなことに気がついたのかと思われるだろうけれども、むしろ自分としては「歴史学は諸学の王である」、くらいに思っていたのでなんとなく威張って見せている文科I類や法学部の学生がそういう態度なのも偏差値や合格最低点が高いから威張ってるのかなくらいに思っていたけれども、そうしたヒエラルキー的な感覚で威張っていたのかと今になって思い当たっていたりするわけである。

こちらは法学部なんて実務家の学問で学問本来の深遠さがないよね、くらいの感覚で「でも他の学問を見下すのは良くないよね」くらいの感じで「法学部なんだへえすごいね」と接していたのだが、どうも本気で威張っていた人たちもいたんだなと今更ながら思ったりする。それは官僚の威張り方とかと基本的には同じなんだなと思ったり。

しかし、世界的に見てみればおそらくそんな木端の政治家や官僚なんかより歴史家や歴史学の方がずっと尊敬・尊重されている、ということも多いと思うし、例えば中国などでは伝統的に「経史の学」として「儒教古典」と同様に「史書」も重んじられている。それは儒教の祖である孔子自身が「書経」や「春秋」などの編纂に関わったとされているということもあるし、その伝統から「史記」以来、王朝が交代するたびに前代の王朝の歴史書が編纂されるということを繰り返してきた、ということもある。そういう意味で中国は世界でも一番、少なくとも伝統的には歴史意識が強い国であると言ってもいいと思う。

イスラム世界やキリスト教世界でも様々な歴史書が古典として書かれてきていて、それらの上に乗っかって文明が存在しているから、歴史というものの重要性が理解されているということなのだと思う。それに比べると、日本では歴史というものの重要性があまり強くは意識されていない、ということになるのだろうと思う。

これはずっとそうだったわけではなくて、特に国際関係を持つようになった当初からは日本とはどういう国かを明らかにするためにその成り立ちから歴史を説くための史書がいくつもあったわけだが、それが国家事業として編纂されたのが日本書紀だということになる。古事記の位置付けは難しいが、ある種の私撰であってもそれなりの背景があって編まれたものであろうとは思う。そういうこともあり、我が国の歴史書において記紀は別格の存在でもあるわけである。

その後は「六国史」が平安時代の半ばまでは国家事業として編纂されたが最後の「日本三代実録」が藤原時平や菅原道真の手によってなされた後は国家的な修史事業は行われなくなり、そういう意味で参照すべき先例がなくなったために、貴族がいわば私の史書として日記を残すようになったわけで、史書の必要性というもの自体がなくなったわけではない(私選の史書も大鏡や栄花物語など平安後期にもある)のだが、これはおそらくは「史書を国家事業として編纂して残す」ということ自体が「中国の文化であり日本の文化ではない」ととらえられたところもあるからではないかという気がする。

つまり、「修史事業」は「漢才」であり「やまとだましい」「やまとごころ」はもっと応用実務的なものであって、オーソドックスを残していこうという意欲が国家として失われたということなのだろうと思う。よく言えばイデオロギーよりリアリズム、ということであり、これはこの時期からの日本のメンタリティとして今尚受け継がれている部分があるのだろうと思う。

それはつまり他国との交渉があまり必要でなかったからであり、元寇などの後には北畠親房が「神皇正統記」を書いたり、「歴史を学ぶこと」の重要性が説かれているわけで、つまりは「歴史」というのは民族・国家・国民の「アイデンティティの確立」の上で重要なものだからである。

これはだから江戸時代後期になってある意味日本人としてのアイデンティティを「意識しなければならなく」なった、あるいは「アイデンティティが動揺してきた」のを受けて「国学」が盛んになったのと同じ理由で、だからこそ同じ時代に頼山陽による「日本外史」が大ヒットしているのだろう。また「大日本史」を編纂していた水戸藩が幕末維新において大きな役割を果たすのも、ナショナルアイデンティティとしてのイデオロギーが一番明確だったからということも大きいわけである。

当然ながら明治維新の後には帝国日本のアイデンティティを再確立するための修史事業が再開されるのだが、結局はヨーロッパ方の実証主義的・科学的な歴史学の方向性と水戸学的な方向性がバッティングして「神道は祭天の古俗」発言だとか「南北朝正閏論争」などのイデオロギー的な対立から最終的には頓挫してしまい、「日本編年史」編纂の大業を担うはずだった東大の史料編纂所も文字通り史料を蒐集・保存・編纂する機関になってしまってそれ以来国家事業としての修史は行われていないわけである。「明治天皇紀」なども宮内庁の所管であり、国家事業というよりは宮中の事業の感が強い。「大正天皇実録」「昭和天皇実録」も同様に宮内庁書陵部の事業である。

そういうこともあって日本では国家・民族アイデンティティ、ないしイデオロギーに歴史学が関わる部分があまり強くなく、むしろ教育勅語のような本来は民衆訓導のための勅語のようなものが国家主義イデオロギー文書として代替されてしまったわけである。勅語は当然ながら思想的な内容しかないわけで、それを裏付けるための歴史的内容が欠けている。その後も司馬遼太郎をはじめとする私人の手によるいわば稗史が国民的な読み物になってしまっていて、重厚な史書が教養人としての大人の読み物にならなかったことが日本におけるアイデンティティのぐらつきとか保守思想の確立度の弱さみたいなものに現れているのだろうと思う。

そう考えてみると歴史学より政治学の方が偉いと思われるような倒錯が起こるのは明治政府内でアイデンティティ主義的・イデオロギー主義的な派閥よりも伊藤博文らの実務主義的な、つまり源氏物語的な意味での「やまとごころ」的な派閥が勝利を収めたことの反映でもあるのだろうと思う。そういう意味では(社会)科学が思想に優越した、というある種の健全性を反映していると言えなくもない。

ただ歴史学というのは本来は血湧き肉躍るような物語的なものではなく、淡々とした事実の羅列であって、そこからアイデンティティ的なものを読み取るのはその史料の充実の上に立っての歴史家の役割であって、すぐに思想に短絡するような方向性は本来の持つ「歴史の保守性」みたいなものとは両立しない。「歴史は大人の知恵」であって、過去をすぐ否定したり乗り越えたりしたがりがちな若者や左翼のものではないからである。

だから歴史家の側としては、というか自分はもはや歴史学という業に従事しているわけではないから外側からの視点になるけれども、こうした日本の国民的なアイデンティティの変動要素の強い時期に、大人の知恵としての歴史を説くことがまさに重要なのだとは思う。

逆に言えば法学部や政治学者の傲慢もまた歴史の1ページとして記録していくことこそが歴史あるいは歴史学の本質的な強者性というか深淵であるわけで、こちらが深淵を見ているときには深淵もまたこちらを見ているわけである。

実際「縄文ナショナリズム」のような奇天烈なイデオロギーが出てくるのも歴史が軽視されているからに他ならないわけで、歴史学の最近の研究の深まりがそういったよくわからない妄想系ファンタジーを地に足がついたものに交換していくことに役に立てば良いのだがとは思う。

プーチンのロシアのように自らが立てた自国の歴史像にハマりすぎてついには大殺戮に及ぶというのも困った話ではあるのだが、ウクライナが自らの歴史を更新しようとしているように、また中国共産党の中華民族イデオロギーに対して台湾が新たなナショナリズムを発展させているように、歴史というのは21世紀に主戦場となりつつある、というかすでになっているアイデンティティの戦いにおいて主戦場でもあるわけである。

「歴史戦」という言葉は今まで反韓反中のような日本が不利に作られた戦後国際秩序に対する反発から出てきたことが立ったわけだが、中国の東アジアにおける支配拡大の意図がより明確になってきている現在となっては、むしろ彼らによる侵略(精神的なものも含めて)に対抗するための戦いという別の意味合いも出てきていると思う。高市首相の台湾有事発言に対する日本大使館や中国外務省のツイートなどを見ていると彼らは本気で戦いを仕掛けてきているのだなと思うし、それに一歩も引かずに反論している多くのツイートは非常に頼もしいなと思う。

私自身もさらに勉強し、本にまとめていきたいと思う。

Z世代について考える(続き):自分と違う部分と違わない部分/計画性の中に4分の1くらいの「行き当たりばったり要素」を入れる/仕事が押して生活サイクルに乱れが出る

Posted at 26/01/30

1月30日(金)晴れ

昨日は仕事が長引いて、家に帰ったのは11時半を過ぎていて、夕食を食べ終わったときには日付が変わっていた。それでも終わってない仕事があってうまく寝付けず2時くらいになってしまい、起きたら6時半で全てが押せ押せ。とりあえずゴミをまとめて車で出しに行こうとしたが、フロントガラスの凍結が解けるまでに少し時間がかかった。作業場のゴミもとって職場まで走り、ゴミを処理してからセブンに出かけ、週刊漫画Timesと水素焙煎コーヒーを買い、一度作業場に戻ってトイレの水の流れ具合を確認。あまり行かないので凍結する可能性があるので、少し確認したということ。家に戻ってきて、昨日の仕事の続きをやり、8時になったので朝食を食べるがパンを買い忘れたのでまた餅である。レンジに40秒かけたら爆発していたので今度は皿に乗せて30秒かけたが少し足りない。そこからトースターで焼いてもいいのだがもう20秒追加でチンしていい感じに爆発したのを食べることにした。あとは目玉焼きと卵スープである。

で、とりあえず仕事の目処が立ったのでできたものをメールで送り、それから少し休んで、ブログを書き始めたのはもう10時前になっていた。まだどうも体の調子が変なので先に入浴して、今ブログ/noteを書いている。

午前中にやるべき用事はいくつかあり、午後にも用事があるので今日はなるべく手短に書こうと思う。

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Z世代の話を昨日全部書けなかったので「特徴」とされることの後半を少し考えた。

「消費傾向としては「モノ」より「コト(体験・経験)」を重視し、共感できる「推し」にはお金を惜しまない」とか、「仕事観としてはワークライフバランスを重視し、自己実現や社会貢献につながるやりがいを求める」とか、「保守的かつ現実的」で失敗を避け、事前に情報収集して選択する傾向がある

というあたりである。

この辺り、自分と違うと感じたのは「コト=体験」が自分の糧となるものとしての体験ではなく、「消費」として捉えられていることかな、と思う。基本的に自分の学生時代には「観光」という概念がなく、つまりは知らないものを見にいく、知らないことを経験しにいく、という意味で野次馬ではあるのだが、そこで何かを得られる、少なくとも知らなかったことを知れる、という体験が得られるということを思っていたので、「旅行=観光」という概念が基本的になかった。

しかしそうなると逆に「自分の勉強になりそうなところを選んで行く」ということになるし、観光名所であってもなんだか意義が少なそうだなと感じるところはあまり行かない、という傾向になっていた。この辺を改めさせられたのは女性と付き合ってからで、一緒に旅行しても自分の行こうとするところは面白くないらしく、仕方ないからいろいろ考えてこういうところは面白いかな、とか有名だし行ってみるか、みたいな視点で行き先を選んだりするようになり、逆にそれで結構知見が広がったということはあった。まあ基本的には好きな人と行けばどこでも楽しいわけだが、「観光」というのは自分の中では割と新しい概念なわけである。ヨーロッパに行った時もバックパックで美術館や建築ばかり回っていた、という種類の旅行だったので。

まあ時々書いているが観光というのは旅行する方には楽しいと言えば楽しいが、地元の人にとっては結構迷惑な面があるわけで、本当に住民のほとんどが観光業に関係しているような地域ならそうでもないのだろうけど、イベントなどがあって街に人が溢れたりすると日常のペースで生活できないのでちょっと面倒なわけである。これは銀座とかもそうで、日常的に気晴らしや買い物に行っていた街が観光客で溢れかえるようになり、コーヒー代もインバウンド値段とかになってしまうと、やはり足は遠のくようになる。最近は帰郷しても丸の内や神保町には結構行くが銀座はあまり行かない。まして渋谷や新宿や池袋は東京の反対側ということもあり、かなり億劫になってしまっている。

「推しにお金を惜しまない」というのも最近よく見かけるようになった消費性向だが、これもそんなにはよくわからない。まあプロ野球や相撲でもそうだが自分の贔屓を決めておいて応援するのは楽しいわけだが、そこにそんなにのめり込むというほどでもない、いや大学1年の時に日本ハムファイターズがリーグ優勝した時にはプレーオフには通い詰めたけれども。「推し」という感覚はやはり基本的にオタク的なムーブだと思うし、自分はそんなにそういう意味でのオタク気質はないのでやはりちょっと違うかなとは思う。

「仕事観としてはワークライフバランスを重視し、自己実現や社会貢献につながるやりがいを求める」というのはそんなの当たり前だろ、とどちらかと思うのだが、「ワークライフバランスというのは取ろうとは思うがあまり取れないもの」という感じだったなと思う。自分は演劇だとかものを書くこととか自己実現という意味ではむしろそちらに傾いていたから仕事でそういうことを求めるというのはそんなに濃くはなかった。ただ結果としてそういうものが得られたり社会貢献しているなと思ったりやりがいがあったりするということはあるが、大体そういうものは自分がそう思っていても人から評価されることは結構難しいことだというふうには思っているところはある。

「保守的かつ現実的」で失敗を避け、事前に情報収集して選択する傾向がある、というのは自分でもそういうところはあるからこれもよくわかる。ただ、事前の情報収集というのは結構難しくて、結局は自分でネットなどで調べるよりもそのジャンルにおいて信頼できる人に任せた方が失敗が少ない、という経験則があるので、情報収集はほどほど、というのが違うところだろうか。これは兄弟や甥姪などを見ていてもそこまで調べるかと思うくらい調べているので、むしろ私はアバウトに調べて現実の中でどう対応していけばいいかを勘でこなすという方が大きい。私は思想的には保守だが資質としてはとても飽きっぽいので常に新しいものを求めているところがある。この辺りは伝統に安住した落ち着いた暮らしができる人が羨ましい。ってZ世代の話でもなんでもなくなってきた。

つまり、計画性の中に少なくとも4分の1くらいは「行き当たりばったり要素」を入れたい、というところがあるわけである。もちろんやり切らなければいけない命題みたいなものはなるべくその要素は減らしたいのだが、そういうものに限ってわからない部分が多く「ええい!」と気合を入れてやることになる。また、疲れていて今日はルーティン通り過ごしたい、という日に限ってアクシデントが発生するわけである。イベントも最近は空振りが多く、出かけるのも面倒な感じも出てきている。まあ、「人に会う」というイベントは大体は何かしら得るものがあるので良いのだが。

若者は非合理性を嫌うとか理不尽さを嫌うみたいなことはこれは自分も新人類世代だから当時は同じようなことを言われていたし、そんなに目新しいことでもない気がする。退職代行とかも私は民間企業に就職したことがないからわからないけれども、まだそんなにしがらみが生まれていない段階なら使うことも検討したんじゃないかという気もしなくはない。

書いてみたが、疲れているせいかなんだか当たり前のことばかり書いている気もする。最近エンジンの掛け方とかクールダウンの仕方とかがだいぶ下手になってきている感じがあり、その辺もまた老いなのか、やる気の問題なのかを考えなければいけないなと思ったりしている。

自分の中や外に新鮮なものを探すことも大事だし、それを新鮮と感じられる、評価できることも大事だと思う。私の場合は疲れていると後者の感覚が鈍くなり、結果的に前者もうまく捉えられない感じがするので、まああまり変に疲れないようにはしたいのだが。


「Z世代」にムカついたり理解したり/「最近の若いもんは」/コミュニティ作り・タイパコスパ・体験重視/読書の幅と書くものの幅を広げる

Posted at 26/01/29

1月29日(木)晴れ

今朝は冷え込んでいる。現在のところ(5時10分)の最低気温はマイナス7.4度。ここのところ少し高めだったのでこのくらいになると少し寒いなと感じる。最低気温の予想はマイナス9度なのでまだ下がるかもしれない。昨日の帰りにはフロントガラスが少し凍結していたので湿度も高いかもしれない。ということは雪が降るかもしれないということだろう。予報では夕方雪マークがついているが、最近は晴れマークでも降ることがあるので備えてはおかないとと思う。

昨日は午前中ブログ/noteを書いた後職場に出て事務の人と少し今後の予定の話をしたり。そのあとは銀行に行って記帳して、ツタヤに行って「コミックゼロサム」の3月号を買い、少し離れたスーパーに買い物に行こうと裏道を通ったら工事中で、あまり通ったことのない道を迂回し、スーパーに着いたらそこでも工事をしていて、年度末のせいなのかなんのせいなのかはわからないが最近は工事が多いなと思う。お昼ご飯の買い物をして実家に帰り、昼食を食べてから少し休む。

午後は少しマンガの整理でもしようと思っていたのだがちょっと居間で横になったら寝てしまっていたので疲れていたのだろう。電話で起こされて、母の入居している施設からだったからなんだろうと思ったら、トイレットペーパーやボディソープなど消耗品が切れたのがあるので買ってきて欲しいということだったので、時間を見たらギリギリだったが施設の近くのドラッグストアまで行って言われたものを買って施設に届けた。

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事務の人と仕事の話をした後に少し雑談をして最近の若者についてちょっと話したのだが、自分が捉えている感じとその人の感覚との間にズレがあるのを感じたのでそのことについて考えたり。その人は、今の若者は自由になっていいよね、というのだけど、私が見ているとあまり自由になった感じがしない、というかなんというかいろいろなものに囚われていてむしろ不自由な感じに見えていたので、なんだか話が噛み合わないところがあった。

で、その後でいろいろ考えたのだけど、つまり私は「今の若者」に不満を持っているのだな、ということに気づいたわけである。まあこれは古代エジプトの時代から老人の定番の話だから私も歳をとったものだなと思ったのだけど、なぜ不満なのかと言えばつまりは理解できないからで、それなら少し理解を試みてみようと思って「Z世代」に着いて調べてみようと思ったわけである。

今までは、というかコロナ前の時代までは特に調べなくても自分の想像の延長線上でこういうふうに考えているのだろうなと想像がつく感じがしていた(本当に理解できているかは別にして)のだが、今はそれだけでは理解できないことが多いし、今までの世代だと直接触れる若者がそんなに多くなかったのだが、ちょうど甥や姪たちが「Z世代」にあたるので、直にいろいろ話をしても何を考えているのかよくわからないから適切なアドバイスがしにくい、というジレンマが最近蓄積していたということも実は自分の中にあったなと思う。

こういう世代論というのはあまり適切でないことも多いし、自分たちがそういう十把一絡げの理解をされてムカついてきたこともあるから(私たちはしらけ世代・新人類世代・バブル世代などと呼ばれた1960年代前半生まれである)あまりそういうものに積極的には近づかなかったのだが、最近は「Z世代」というアメリカ発の言葉が日本でも盛んに使われていて、ちょっとムカつくなと思っていたのだけど他にちょうどいい言葉もないのでとりあえずその名前や言われている特徴からいろいろ考えてみたいと思い、調べてみているわけである。

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ここまで書いて軽自動車で出かけて職場で少し外仕事をし(寒い・手がかじかむ)、少し離れたセブンへ行ってチャイとヤンジャンを買い、少し離れたガソリンスタンドまで行って給油した。1000円入れるか10リットル入れるか迷ったが、1000円だと6リットル今日しか入らないから少し足りないかなと思って10リットル入れた。もともと母が乗っていた軽も市内を走るのに主に使っているのと妹たちが来た時に乗っているくらいなのだがこうして乗ってみると小回りは聞くし便利だなとは思う。

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「Z世代」という言い方は日本では新しい言い方だなと思うのだが、元々は「アメリカで1960〜70年代生まれを「X世代」、その次の1980年代半ば〜90年代半ば生まれを「Y世代(ミレニアル世代)」と呼んだため、その次の世代として「Z世代」と名付けられました。Zの次は、アルファベットの次のギリシャ文字「α(アルファ)」が使われ、「α世代」と呼ばれています。」ということらしい。(GoogleのAIによるまとめ)1960年代前半生まれは日本でも「新人類世代」と言われているように、「よくわからない若者たち」と思われたからX世代などと言われたのだと思うが、結局その流れで80年台から90年代に生まれた人たちをミレニアム世代とかY世代と呼んだらしい。

そして90年代後半から2010年代前半生まれがZ世代ということなのだが、感触から言うとY世代というのが日本で言えば氷河期世代に重なるところにあり、アベノミクスが始まった2012年に大卒の1990年生まれ以降くらいがポスト氷河期世代になるわけだが、その辺りをZ世代と呼んでいるという感じで捉えて良いかと思う。

私自身はX世代というのは聞いたことがあったがY世代という言葉はほとんど使わなかったので、Z世代というのは割と面食らうネーミングで、アルファベット最後の文字だから「終わっている世代」みたいな意味を感じてしまうネーミングなのだが、それで言えば2010年以降に生まれた現在の中学生以下の世代がアルファ世代ということになれば「はじまった世代」というイメージになる感じはある。

したがって私の感覚では「Z世代」というのは結構ネガティブなイメージのある名付けなのだが当人たちや世間がどう思っているのかはいまいちよくわからない。

で、Z世代の特色とされているのが「デジタル・SNSネイティブ」でスマホやSNSでの情報収集・発信が日常で、コミュニティ形成を重視し、「タイパ(タイムパフォーマンス)重視」で効率性を重んじ、ショート動画などを好む、とか、「社会課題への関心」があり、環境問題や多様性(ダイバーシティ)に対する意識が高い、とか、「消費傾向としては「モノ」より「コト(体験・経験)」を重視し、共感できる「推し」にはお金を惜しまない」とか、「仕事観としてはワークライフバランスを重視し、自己実現や社会貢献につながるやりがいを求める」とか、「保守的かつ現実的」で失敗を避け、事前に情報収集して選択する傾向があるなどのことが「AIまとめ」としてググると出てくる。

これだけだとわかったようなわからないような感じだが、個々に考えてみると、「デジタルネイティブ」というのはよく言われるが、「SNSネイティブ」というのはあまり聞いたことがなかった。これはつまり情報収集がGoogleではなくインスタやTikTok中心になっているということらしいのだが、よく考えてみると自分の情報収集は意識的に行うのはGoogleだが無意識的には結構Twitterから入ってきているから、そういう意味では共通項はなくはないが要するにインスタはあまり熱心に見ていないしTikTokはやってないからそういう動画系の情報収集があまりよくわからないということはあるなとは思った。逆に言えばこの世代にアプローチしたければそうした動画系の情報発信がいいということなのだろうなとは思う。

また、大学に入学が決まったときなど、入学式の前からすでにSNSでグループを作っている、というのはよく言われているけれども、これは我々の時代から入学式の前に上の学年のクラスがオリターとして下の学年の同クラスを集めていろいろ教えたり、呼びかけられて集まった人の間で名簿が作られたりしていたからそういう意味でのグループ作り、ないしは「コミュニティ形成」自体はある意味昔からあったなとは思う。そういうものとLINEグループとでは距離感も違う感じはするが、その辺についての古さ・新しさの感覚はどんなものなんだろうか。

「タイパ重視」というのはよく言われるが、つまりは動画を倍速で見て効率的に情報収集する、みたいな話なんだろうと思う。「AIまとめ」で理解した気になったり、YouTubeの読書動画で内容がまとめられているのを呼んで理解した気になったり、みたいな話はよく批判の対象にされているが、こういうことは自分にとって新しい分野のものを学ぼうとする時にまずとっかかりとして調べてみるようなことは私にも良くあるから、それ自体を非難するのは違うなとは思う。また、源氏物語の内容をまず「国語便覧」を読んで知るとか、古典を読むよりはそれを解説した新書を読むとかいうようなことは若い頃は私も良くやっていたので考え方は理解できる。私が持っている書籍のかなりの部分を「講談社現代新書」が占めていたのは若い頃にそうやって広い範囲のものを理解しようとして一番わかりやすそうな本で知ろうとしたということが大きいなと思うし。

ただまあ、その辺りのことを考えてみると、古典をきちんと読んだ人たちには敵わないところが大きいわけだし、自分も古典にはかなり跳ね返されていたがダンテの「神曲」だけは教養文庫で大学時代に読み切れて、それがある意味あとでギュスターブ・ドレの銅版画でまとめられた本や永井豪のマンガ版を愛読するようになったきっかけでもあり、やはり原典でちゃんと読んでおくことの意味は大きいと思う。原典とはいえ翻訳だけれども。これは「源氏物語」や「カラマーゾフの兄弟」でも同じで、谷崎訳や古典新訳文庫で読めたことは自分にとってある意味での自信みたいなものにつながっているところはある。

若い頃に解説的な新書に頼りがちだったのはタイパコスパもあるがそんなに概念と格闘せずとも自分なりに理解できそうだというところが大きかったからなのだが、それがどれだけ自分の中に残っているかというとちょっとな、というところもあるのでやはりその辺のところはなるべく「本物」を読んだ方がいいよ、と忠告したくなるところはある。

「社会問題への関心」というのは、まあ私も大学生の頃は基本的にそれなりにはあったので、反原発デモに参加したり自治会委員長の不当逮捕への抗議デモに行ったり、演劇とかでも身体性とか関係性というものを考えたいということがあってやっていた面はあるし、環境問題や食品安全問題などもそれなりには関心があったようには思う。まあ基本的にダメだったのはフェミニズムだが、これは今でもダメなので変わっていない。ジェンダー平等というのも今の若者がむしろ女子枠に反発したりしているのが自分にも共感できる意味があるから、女性の権利を高めようとするあまり不当に男性の権利を侵害するとかについては結構共感できる部分もあるとは思うけれども、フェミニズムの思想的浸透はおそらくは自分の想像以上だとは思われるので、その辺のところは多分感覚的にはよくわからない。

弱者の権利運動とかマイノリティの権利運動というものには若い頃から疑問を感じていることが多くて、障害者の援助みたいなものを手伝ったことがあるのだが、その権利の要求の仕方とかが納得がいかなくてすぐに離れたということはあった。この辺の感覚は昔から変わらないところがあり、マイノリティの権利を重視したり弱者の権利が踏み躙られたりしないことは重要だともちろん思うけれども、それがマジョリティの権利を侵害したりマジョリティのみの負担によって成り立たせようとすることは平等の精神に反していると思っている。

強者にしても弱者にしても「社会に貢献する」ということが基本的に善だと思っているので、強者は強者なりに弱者は弱者なりに貢献すればいいと思う。それを「権力者に都合のいい思考」だと批判する向きもあるが、本来社会の安定は強者よりも弱者にとってメリットが高いことだと思うし、権力者もまたその権力を用いて社会に貢献することが義務でありそれができない権力者は辞めさせるべきだから、民主主義のシステム自体が重要だと思うわけである。そういう意味で私は古典的な民主主義者であり、リベラル民主主義者ではないという意味では保守主義者なんだろうなと思う。

環境問題やダイバーシティに関しては以前は基本的には肯定的に見ていたが、経済や雇用の上での工業・生産業の重要性などを考えたときに一方的な産業否定的な環境主義には賛成できないと思うようになったし、名目的より現実的な対応が必要だと考えるようになっている。またダイバーシティの問題についても民族的マイノリティが増えればいいというものではないと思ってきているから移民増加へは歯止めが必要だと思っていて、また外国人にも適正に法を守らせる必要があるとも思っている。若者がどう考えているかはこの辺は必ずしもよくわからないのだけど、若者的な理想主義に基づくダイバーシティの理想みたいなものは本当に多様な人間のあり方というのを理解していくうちにそう簡単なものではないということもわかってくるということではないかとは思う。左翼の方向性に開き直る前に現実的な思考を身につけてもらいたいとは思う。これは環境やマイノリティ運動に関してもそうなのだが。

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まあ考え出すとキリがないのだが、他にも例えば「モノより体験重視」というのは何かわかる気がして、自分の周りの若い人たちも特に女性は暇さえあれば海外に出かけている人が多く、楽しんでいるようだが、その辺もどちらかというと不満があるというか、まあ自分にとっては海外に行くというのが「世界の広さを学びに行く」ものであったから、ということが大きいのだなとは思う。楽しみに行くというのはつまりは体験を消費しに行くということだけど、まあこれは観光地の周辺に住んでいるから「旅の恥はかき捨て」的な観光客の態度に対して反発が強いということもあり、また銀座の歩行者天国で座り込んでいる中国人や白人の観光客への嫌悪感みたいなものも結局は同じことなので、消費にはスタイルが必要だよなという気はする。ただそれは「聞き分けがいい」ということとはまた違うことで、まあこの辺のことについてはまた考えてみたい感じはある。

ちょっと時間がなくなってきたのでこのテーマについては今日はこのくらいにしておきたい。ただまあよく考えてみると自分の若い頃とそんなには違わないなということが結構多いなとは思いだした。歳をとってくるにつれて、というか自分の仕事もあって教育的なスタンスが強まっているということもおそらくは不満を持つ原因にはなっているのだろうなということも思った。ただ教育ということに関してもこちらからの理解がなければ成り立たないところは結構多いわけだから、その辺での考察はもっとしていった方がいいなとは思った。

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本を書くのに何を書くかというのを考えていて、いろいろ考えていたのだけど、視点を少し変えて「どういう本を書くといいのか」とか「自分はどういう本を読みたいか」と考えてみたら、結論は「面白い本」ということになった。まあ、面白い本ならある意味ジャンルはどんなものでも割と私は読むが、何が面白いかは読んでみないとわからないということはある。もともとノンジャンルの乱読家ではあるのだが、読まないものはまず読まない。興味を惹かれる言説等があったら読んでみる可能性はあるが、最近そんなに新しいジャンルは広がらないし、むしろ狭まっている感じがある。それは自分の興味関心の領域が狭まっているということで、おそらくそれはある種の老化現象というか歳をとったことの自然な反映であろうとは思うのだが、面白いものがなくなるというのはあまりいいことではないから、それなりのアンテナを貼っておく必要はある。

考えてみると、読書の幅を広げようとして頑張って広げたということは今までに何回かあるのだが、結構それで広がってある意味収拾がつかないというところもなくはない。最近では2008年に「ずっとやりたかったことをやりなさい」を読んで今まで食わず嫌いだったアニメとかもう読むのを辞めておこうと思っていた商業誌系のマンガとかをあえて読み始めて、ジブリアニメや「進撃の巨人」その他読んでよかった、みてよかったというものに出会って入るし、また小説を書こうと思ってまずはその傾向と対策を、ということで読み始めた芥川賞作品も、今はほぼ読まなくなっているが現代文学というものを考えるときにはこういうものだよな、というベースとして持てているということはある。

まあ読むものの幅を広げるというのはそういうふうに意識的にやることが大きくて、最近では経済学方面のものを読もうとしたり法学史方面のものを読もうとしたりなどして歴史を見るときにも今までにない視点を持てたりはしているので、読むものとしては豊かなものを感じる部分はある。

考えてみると、書く方向では今まで「幅を広げる」ことはあまり考えてなくて、若い頃は卒論やレポートなど必要に迫られて書いたもの以外ではエッセイ的なものを人に頼まれたり応募したりしたくらいだったが、演劇の台本を書き始めてからは何本かそういうものを書いたり、舞台という場を無くしてからは詩を主に書いていてインターネット時代に突入し、「日記猿人」でウェブ日記というジャンルに出会ってからは評論や小説その他応募作品などとして書いている以外は少なくともスタイルとして「日記」というスタイルで書き続けているわけで、考えてみたらもう四半世紀そんなことをしているわけである。

最近では詩も戯曲も小説も論文も評論もまとまった形では書いてないので、そろそろ書く方でも「幅を広げる」ということはやってみた方がいいという気は書いていてしてきた。

で、つまりどういうものを書けばいいかというと「面白いもの」を書けばいい、あるいは「面白く」書けばいいわけだが、どういうスタイルがいいかとかどういう内容がいいかとかはあるにしても、とりあえずこうやって文章を書き続けている以上は「どういう文体がいいか」というくらいは常に実践できるわけで、まあその辺が多分柱になるのかなということは思った。

面白いもの、というのはまあ例えばネタということでもあり、テーマということでもあるのだけど、日記というスタイルのいいところは、あったことを淡々と書いているうちに自分の中で触発されたり光ったりするものが見えてくることで、そこでネタやテーマをつかんで書く、ということになる。昨日のように人と話をしていて発想することもあるし、以前はSNSで議論していたことをさらに考えて書いたりもしていたが、これもまあ基本的にノンジャンルの無手勝流みたいな感じで書いているけれども、まあ逆に言えば人が興味を持とうが持つまいが独りよがりのことを書いているという面もなくはない。

だから自分がどういうものを面白いと思っているのかとか自分が新しい切り口だと感じたことなどは大体noteを見ればわかるしあるいは思い出すのだけど、それらを再クローズアップしてもやはり面白いかどうかというのは、やってみないとわからない。

最近は比較的いいねをもらえる国内問題、国内政治系のことについて書くことが多くはあるのだけど、逆に言えば多くの人がそういうものに関心を持っている、そういうものについて知りたいと思っている、あるいはどうしたらいいかという意見を持っているということなので、その辺りについて自分の感じたことや考えたこと、調べたことなどを書いていくという路線は一つあるよなとは思う。

他にもいろいろあることはあるが、とりあえずその方向でちょっとやってみようかとも思ったのだけど、易を立ててみたら雷天大壮の初爻で「征けば凶なり」と出たのでまあもう少し考えてみようと思う。

ただ、「書くものの幅を広げる」という方向については火風鼎の上爻で大吉と出たので、その辺でまずやってみようと思う。

「ふつうの軽音部」96話:「恋は人を強くする」/作者同士のやりとり/鳩野が久しぶりに歌った/総選挙のテーマは国民生活もあるが第一に外交安全保障/候補者の若返りと女性進出

Posted at 26/01/28

1月28日(水)晴れ

昨日は午前中ブログ/noteを書いた後、懸案を片付けようと思って各所に電話したら思ったより簡単にスムーズに話が進みそうなのでかなり安心した。それから銀行に行って記帳して、西友で買い物をしてクリーニングを出しに行き、帰ってきて昼食。疲れが出て午後は少し横になっている時間があり、作業場に行って漫画の整理をしようと思ったのだが肝心の整理リストを忘れたのでただ横になって音楽を聴いていた。出かけるのが思ったよりバタバタの時間になってしまったが1000円札が足りないということがわかったのでもう一度銀行へ行って6000円だけおろした。

***

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913779623046

25日に更新された「ふつうの軽音部」の96話「大嘘を歌う」を何度も読み返し、また感想が書かれたブログやnoteなどを読んだりもするのだが、今回はいろいろと反響が大きいようだ。やはり作中で主人公の鳩野が歌うと反響が他の回と全く違う感じがする。私自身も実際に受けるインパクトが全く違うのでやはりすごいなといつも思う。

今回は元歌を歌っておられる「忘れらんねえよ」の柴田さんがTwitterで直に感想を述べ、それにマンガ原作者のクワハリさんが答えるというやりとりがあり、なんというかお互いの真摯さがすごいなと思った。

https://x.com/wasureranneyo/status/2016135961151996294

https://x.com/kuwahali/status/2016169669435261119

この曲はもちろん素晴らしい、というか凄いのだが、そんな個人的な動機で作られたものだとは思っていなかった。MVも「この人たちモテないだろうな」と思うアイドルオタクの男性たちが総出演という感じで、これはオタクを消費的に扱ってるのではないかという意見もnoteにはあったが、消費とかへったくれとかはどうでもよくて、「愛を持つ」ということ、「愛を伝える」ということがとにかく凄いことなんだ、というメッセージが強く伝わるものだった。そしてその結果「速攻爆死する」こともめちゃくちゃありそうだということは、自分自身が爆死経験が何度かあるからよくわかる。また、この人たちにこの勢いで来られたら女性の方は怖いだろうなということもわかる。いわゆる「恋している男のキモさ」ということそのものがテーマになっているのが凄いなと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=uU-Ui0aPT3c

主人公鳩野は女子だから状況は違うのだが、自己認識としてはそれに近いものがあって、水尾のことが好きな自分を「キモい」とか「殺してほしい」とか言ったり喚いたりする。これはある意味「恋している男」が鳩野に投影されているわけだけど、それをストレートに男で表すのでなく「ふつうの軽音部」の主人公の「迫力あるボーカリスト」である「鳩野ちひろ」が歌うことで昇華される部分があり、その愛の純粋性のみが剥き出しになるという仕掛けになっているわけである。

この形を変えた告白のような歌唱の結果がどうなるのかは「わからない」わけだが、作中でドラマーの内田桃が言うように、結果がどうであっても「きっとはとっちは強くなる」と思われるわけで、そこが信頼されるところでもあるのだなと思う。そしてそれは、その強い気持ちを持つ男子たちにとっても、その人のことを本当に思い、やることをやった上での恋とその告白なら、結果がどうあれ、その人が傷つくだけではなく、強くなれるよ、と言うメッセージでもあるわけである。まあまずは恋人になる以前に仲良くなる努力をしないといけないのは言うまでもないし、それをしたところでうまくいくとは限らないのは当然のことなのだが。しかし、この恋がうまくいくといいなと読者みんなに思わせるところが、この96話の評価にもつながっているのだろうと思う。

そう言うわけでこの作品は「軽音部」を舞台にしていることもあり、いわゆる邦ロックが色々なキャラクターによって歌われ、特にライバルバンドの「プロトコル」の鷹見が歌う曲は読者の注目を集めるし、私も好きな曲が多いのだが、やはり鳩野の歌う曲は何か違う感じがする。それで、作中で鳩野が歌っている曲を取り出してiPhoneのmusicで「鳩野ちひろ歌唱曲」と言うリストを作ってみた。カウントしてみると、この「アイラブ言う」でちょうど20曲目である。

1 andymori 「everithing is my guitar」     1巻8話
2 Hump Back 「拝啓、少年よ」            2巻13話
3 あいみょん 「君はロックを聴かない」        2巻15話
4 ナンバーガール 「透明少女」             2巻16話
5 syrup16g 「生活」                 2巻17話
6 ACIDMAN 「赤橙」                  2巻18話
7 スピッツ 「スピカ」                 2巻20話
8 a flood of cirdle「理由なき反抗(The Rebel Age」3巻25話
9 Mr.Chilrdren 「名もなき詩」            3巻28話
10 ELLEGARDEN 「ジターバグ」             4巻36-7話
11 THE BLUE HEARTS「リンダリンダ」          5巻40話
12 andymori 「16」                  6巻50話
13 サバシスター「覚悟を決めろ!」            7巻60話
14 ナンバーガール「IGGY POP FAN CLUB」 7巻61話
15 東京事変「閃光少女」                 7巻62-2話
16 GLAY「誘惑」                    9巻76話
17 くるり「ばらの花」                  9巻77話
18 POLYSICS「Let'sダバダバ」             9巻82話
19 DOES「曇天」                    9巻特別編(ジャンプ本誌出張版)
20 忘れらんねえよ「アイラブ言う」           未収録、おそらく11巻96話

と言うリストになるのだが、2巻と3巻に曲が続いているのは初ライブで失敗した鳩野がボーカル修行を思い立ち、永井公園で毎日弾き語りをすると言う修行パートで歌われる歌が並んでいるからである。逆に話が進行してくると、鷹見の回想がメインになる8巻では歌う場面がないし、まだ出ていないが3月4日発売予定の10巻も鳩野たちの谷九高校と同じ中学だった巽レイハの七道高校との合同ライブの場面とレイハや水尾の過去話が展開するのでやはり歌う場面がない。つまり、今回の「アイラブ言う」は満を持して、というか、鳩野ファンにとってはなかなか歌わない飢餓状態に読者が置かれた中でついに歌った、という曲でもあるので、そのカタルシスたるや、ということになっている面もあるのだろうと思う。というか、私はそうだった。

で、私はもともと車の中とかではたまにラジオをつける以外はほとんど「ふつうの軽音部」関連の曲を聴いているのだけど、このリストで聞いてみるとかなり純度が高いというか、マンガの場面も鮮明に思い出せるし、やはり主人公力というものはすごいなと思った。このマンガのファンの方にはぜひお勧めしたいリストである。次回の更新も待ち遠しい。

***

総選挙が告示され、街頭演説や選挙運動も本格化してきた。投開票が2月8日だから選挙運動期間は後11日。まさに短期決戦で、逆に言えば各自治体の選挙管理委員会は準備に大童だし、投票用紙等の印刷もまだ終わらないうちに期日前投票が始まるという事態になっているようである。私も週末は東京に帰る予定なので、その日程で期日前投票を済ませてこようと思っている。

今回私が投票する東京15区(江東区)は6人が立候補していて、うち4人が女性である。江東区はもともと保守地盤が強いところなのだが、近年は保守政治家同士の激突や自爆によって山崎・木村・柿沢と言った有力候補が退場し、前回は立憲の酒井氏が当選し、3位の自民の大空氏が比例復活している。大空氏も「あなたのいばしょ」というNPOをやっていた人だから従来の保守政治家とは全く違う。

今回は中道に加入した酒井氏と自民党の大空氏が中心となる争いで、他に参政・維新・国民・減税日本ゆうこく連合の候補が出ているというオールスターキャストの感がある。社民・共産・れいわが出ていないのでリベラル・左派票はかなり酒井氏に集中することが予想はされるが、公明の支援を受けることを従来の支持者がどう評価するかという問題もあるようには思う。少し前の江東区の選挙を考えるとかなり様変わりした感があり、ある意味豊洲などの湾岸の住民の意向に近いのかなという気はするが、元々は下町なのでしっかりした保守が出てきたらどうなるかはよくわからない。最後に出てきた減税日本ゆうこく連合の吉野氏は元は参政党の共同代表も務めた人らしく、参政党の候補との間でどう票が割れるかという問題もありそうだ。

で、候補者の年齢は最後に出た吉野氏を除けば一概に若く、大空氏が27歳、国民の深見氏が32歳、中道の酒井氏が39歳という主要候補の若さである。吉野氏が58歳、参政の鈴木氏が46歳と平均を上げているので平均年齢は40歳を超えたが、少し前の江東区の選挙では考えられない若さで、シルバー民主主義とはどこの話かという感じではある。

そのほかでも東京13区(葛飾区)の候補者は国民の候補が31歳、自民現職が35歳で平均は30代になっていて、若い政治家(候補者)は多いなというのが印象である。逆に実家のある長野4区は現職の自民議員が70歳で国民・共産の新人がそれぞれ46歳。まあこのくらいが標準的な選挙区だろうか。特に都市部においては女性進出・若返りが進んでいるという印象が強い。

もっとも今回の選挙戦での争点は政治の若返りとか女性進出とかののんびりしたテーマではなく、物価高対策とか労働者の手取り増加とかの国民生活の問題ももちろんあるけれども、財務省の単年度予算主義を是正した上での国民・国土防衛のための外交安全保障政策など、大変な国際情勢の変化への対応が急務だろうと思う。中国での政変はかなり深刻なもののようだし、イランの国民虐殺やロシアのウクライナで非人道的な作戦も問題だし、ヨーロッパはグリーンランド問題で大騒ぎだが、トランプが再構築しようとしている世界像がどこに落ち着くのかがよくわからないところが大きく、その中ではやはり強力な指導力を持つ政府が望まれるのは言うまでもない。朝日新聞やれいわが「高市首相は白紙委任を望んでいる」云々と言っているのは「支持率下げてやるww」の足の引っ張り方の表れであるが、どちらにしても強力な政府指導部ができないとこの難局を乗り切るのは大変だろうと思う。

できれば自民党が過半数をとって維新と合わせて安定多数を取るくらいの勢いがあると良いのだが、ここにきて中道野田共同代表の統一教会との関わりが取り上げられてきたり、流れとしては自民有利な方向性が作られつつある感じがあって、なんとかなるといいなとは思う。しばき隊や立花隆氏のような撹乱要素がどちらかというと押さえ込まれている感じがあるのも今回の選挙の重要度が反映されている感じはする。

短い選挙戦だが、ここ数年の日本の命運をかける選挙でもあると思うので、自民党にはしっかり頑張ってもらいたいと思う。


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