「たとえば「自由」はリバティか」:「権利 right」は「ワガママ」ではなく「女の一分」/青森県東方沖地震と後発地震注意情報/マンガ「アルスラーン戦記」のオリジナル展開/散髪と邪念

Posted at 25/12/10

12月10日(水)晴れ

午前5時の気温はマイナス3.6度。よく晴れて冷え込んでいる。とは言え12月だから不自然というほどでもない。青森の被災地は寒いことだろうと思う。できるだけ暖かくご安全にと祈るばかり。「後発地震注意情報」というのが運用開始後初めて出されているとのことだが、東日本大震災の時もそうだし熊本地震の時もそうだったが、大きな地震の後に余震が起こることは以前から知られていたけれども、巨大地震の前にやや大きめの地震が起こることもあり、そういうことからこういう形の注意情報が創設されたということのようだ。実際に巨大地震が起こる確率はそう高くはないが、1週間程度は注意しておきましょうということで、まあ理にかなっているようには思われる。急いで復旧してもまた地震がきてまた壊れてしまった、みたいな話は能登地震の時もあったので、しばらくは様子を見つつ復旧する、という姿勢がおそらくはリーズナブルだということなのだろうと思う。

とは言えライフラインの復旧は急務なのでそこは難しいところだが、いわば二次被害というものもある程度は考えておかないといけないということでもあるのだろう。経験を重ねて防災対策も深まっていくのだなと思う。

昨日はいろいろやることを考えていたらかなりたくさんあったのだが、もう髪の毛が限界まで伸びていたということもあり、易を立てたら散髪に行く方が行かないよりはマシな卦だったので、電話して9時ちょうどにいくことにした。床屋さんの駐車場まで車で行き、散髪してもらって終わったら10時20分くらい。いつもコーヒーを出してくれるのだが時間がないからとお断りしてお金を払って車に戻り、市役所の隣の銀行へ。必要なお金をおろしてから駅前の銀行まで行き、資金補充。それから不動産屋さんへ行って駐車場代を払う。本当は月末に払うべきものを払い忘れていたことに朝、会計を整理していて気づいたのだった。謝ったらまあまあという感じだったのではあるが、忘れないようにしないとと思った。

それから西友へ行ってお昼の買い物とお客をした時の菓子を買い、蔦屋へ行って雑誌を見たが、ない。時間がある時にもう一つの書店に行こうと思ってとりあえず諦めて、戻ってきてクリーニングを受け取って、セブンイレブンでSuicaのカードにチャージして、カフェオレを買って帰る。12時から2時に指定で荷物の受け取りがあったので12時の10分くらい前に戻ったのだが、すぐピンポンが鳴って12時前に配達の人が来て荷物を置いて行った。帰ってくるのを待ち構えていたという感じだろうか。いずれにしても用事が早めに済んだのはよかった。昼食をとって疲れが出てきたので横になる。

横になっていると邪念がいろいろ頭の中を駆け巡っていたのだが、まあ疲れが出た時にはありがちなことではある。今朝起きた時もだいぶそういうのがあったのだが、なるべく心を空っぽにし、また体の中の局所的な緊張みたいなものも気を通して無くすようにはした。ゼロにはならなくても少しはマシになる。2時半ごろ出かけてもう一つの書店まで走り、雑誌を見たがやはりなかった。仕方ないのでアプリで探したら、マガポケで最低限の課金で読みたいものは読むことができたのでまあよかったのだが、「進撃の巨人」の好長期にはコンビニでも買うことができた別冊マガジンが今や書店を二軒回っても置いてないという状態なのは隔世の感があるなと思う。

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「アルスラーン戦記」は原作で言えば前半のアルスラーンによるパルス統一という大団円の部分なのだが、すでにオリジナル展開に入っていて、つまりは後半の統一その後は描かず、ここで終わらせるということなのだろう。原作者の田中芳樹さんは昨年脳梗塞で倒れられ、今はリハビリ中であることが先日Twitterで明らかにされたが、この辺りはだから作画の荒川弘さんがオリジナルで展開されているということなのだろうと思う。またそのあたりも情報が出てくることはあるだろうから、お待ちしたいと思う。原作はやや寂しいエンドだったので、ハッピーエンドになってくれると良いなと思っているのだが。

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渡辺浩「たとえば「自由」はリバティか」(岩波書店、2025)読んでいる。一つ目は「自由とliberty」の問題だったが、二つ目の「権利とright」のところまで読み終えた。残りは法とlaw、自然とnature、公私とpublic/private、社会とsocietyということになる。どれも社会科学における基本概念中の基本概念であって、この概念をいかに正確に捕まえるか、また日本語のイメージだとどういうことになるのか、というあたりは思考レベルでも法を運用する(つまり立法や司法、あるいは行政の)実務レベルでもかなり重要なことだろうと思った。

権利というのも日本語だと「ワガママ」とルビを振られたこともあるようなイメージで使われているわけだけれども、本来rightというのは「正しい」という意味があるわけで、人間にとってのrightがそんな気ままなものというのもちょっとずれているわけだけど、これは「権」「利」という言葉のイメージに引っ張られているところが大きいと著者は言うわけで、これはその通りだろうと思った。

rightというの本来「法的あるいは道徳的に正当な要求」であり、要求し実現することが正義であるべきものだが、これは「信念としての正義」というよりは「公平としての正義」だと著者は説明している。

ある人にのみ与えられた権利はrightではなくprivilegeであり、日本語では普通「特権」と訳されている。自由もある意味自由民にのみ認められた特権だったわけだが、全ての人間に生まれながら人間としての権利があるという概念が出てきたことによって人間としての権利=human raightsの概念が生まれ、全ての人間の権利になったという過程もある。

西洋では「正義の女神」は目隠しをして天秤ばかりでことの敬重を測るわけで、これは「余計な斟酌をしない」ということなわけだけど、日本国憲法の第76条「(裁判官は)その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」でいうところの「良心」とは「目隠しをして天秤ばかりではかる」ことを意味しているのだろうと思う。実際にはもっと個人的な信念によって判決が下されていることが多いようには思うが、それは本来の考え方からはずれているのではないか。

そのようなわけで、結局最終的にはrightの訳は「権利」になってしまったわけだが、いろいろな訳の案はさまざまにあった、というのは参考になるなと思う。例としては「正直(せいちょく)・通義・権理・権義」などの案があげられている。

ただ、rightにあたる概念が日本になかったとかと言えばそうではなく、たとえば江戸時代に使われていた「株」とか「分」という言葉がそれにあたるという説明はわかりやすかった。

江戸時代は著者の表現では「家業国家」であり、将軍から百姓まで人々は家業を持ち、それを実行することによって社会が維持されていくという考え方があったという。つまり、その家業を守ることが「分を守る」ということであり、武士の「一分」とか「男の一分」と言ったものがよく取り上げられるけれども、承認には商人をやるための「株」があり、農民には「百姓株」があって、それを受け継いでいくという考え方であった。江戸末期の「御家人株」というのはよく知られているが、勝海舟なども先祖が金貸だったのが御家人株を購入して武士に成り上がった家系なわけである。女性には女性の「一分」があり、それを否定された「女が立たない」「女が廃る」というわけである。この「株」とか「分」の概念がrightの概念に最も近い、というのはなるほどと思った。

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これは先日読んでいた前田勉「近世日本の支配思想」(平凡社ライブラリー、2025)で説明されていた兵営国家としての近世社会における役割意識というものと同じことが説明されていると思うのだが、この二つの説明の重なりがどのように関係しているのか、平凡社ライブラリーの方では注が付いてなく、「たとえば自由は」の方では前田氏の研究は引用されていないのでどういう関係にあるのかはよくわからない。渡辺氏の方が10歳ほど年長だが論文自体の前後関係もどうなのかはちゃんと調べてみないとよくわからないのだけど、参照関係がないわけでもないだろうなとは思う。

前田氏の方ではこの「役割」から外れた人の生きづらさだとか居場所としての意味が強調されていた感があったが、こちらでは「権利」に通じる「人が簡単に奪うことができないもの」としての側面を強調しているのがなるほど法と倫理と道徳の境目あたりの研究だとそうなるんだなと思ったのだった。興味深かった。

諸富徹「税の日本史」を読み始めた:取られる側の思考と取る側の思考/アウトプット過多と「自分を遊ばせること」/自分のための文章と仕事としての文章

Posted at 25/12/09

12月9日(火)曇り

昨日は午前中ブログ/noteを書いて入浴した後、とは言っても11時になっていたのだが、歩いて出かけて近くの和菓子屋へいき、弁当を買った。日曜の夜が鮭の西京焼きだったので魚系でないもの、と思い、肉団子弁当党派ぎを買う。弁当をぶら下げていくのは少し気が引けたが、近くの図書館まで行って「たとえば「自由」はリバティか」があるか検索してみたら、区内の他の図書館に3冊あったが、全て貸出中だった。まあそんなものか、と思ってCDの棚を少しみて、フィッシャーディースカウが歌うシューベルトの「冬の旅」のCDを借りた。それから家に戻り、あれこれして弁当を食べ、洗濯機をかけて1時過ぎに出かけた。集合住宅の前を出ると左に信号が見え、バスに乗るならこちらなのだが歩いて駅に行くなら右。信号が赤ならバスに乗ろうと思ってみたら赤だったので交差点まで歩く。信号が変わって交差点を渡って、バス停でバスを待っていたがなかなか来ない。まああるあるではあるが。

バスに乗って地下鉄駅まで出て、地下鉄に乗って大手町へ。丸善に行って本を見る。書きたいものがなくなる、面白いものが感じられなくなる、というのはアウトプット過多であることがある、というのは「2.5次元の誘惑(リリサ)」の教えの一つだが、アウトプットのために好きなもの、あるいは自分にとって必要なものを後回しにしたり我慢したりする、というのは本末転倒でありある種の罠だ、ということを自分の過去noteで読んでそうだよなあと思ったり。

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https://note.com/kous37/n/n3786c193a468

ということがあったので、なるべく積極的に本屋巡りとか本来自分が楽しいと感じることをやろうという気持ちもあって丸善に出かけたわけである。で、普段はあまりしないのだが地下からエスカレーターで1階に上がり、ぐるっと書棚を見て2階に上がって、雑誌の棚や小説の棚、マンガの棚をぐるっとみてから3階に上がって新書のあたりを見て面白そうな本を一つ手に取り、アートのあたりを一通り見てから歴史や社会科学の方を見てからこの新書を買うことにした。

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買うことにしたのは諸富徹「税の日本史」(祥伝社新書、2025)。国際関係も大事だが、国内政治の上では一つ大きく問題になっているのは税の話で、国民民主党が躍進したのも石破政権が降ろされて高市政権に変わったのもガソリン暫定税率の問題や現役世代の手取りを増やすという税の問題が大きかった。またMMTなど新しい租税理論も出てきているし、ここで歴史的なところから税というものを振り返ってみるのも良いかと思ったわけである。

自分は西洋史を専攻していたから奴隷制の賦役労働、農奴制の賦役(労働地代)と貢納、その貢納の中身も生産物地代から貨幣地代へ、という流れで税制を捉えているところはあるのだけど、税の専門家がどのようにその辺りのところを捉えているのかというのも関心があった。

読んでいて思ったのは歴史学的な租税の考え方がどちらかというと取られる側の立場からの捉え方であるのに対して、この本では取る側、つまり国家の側からそれを書いているなと思った。まあ、考えてみれば税というのは国家が自分の必要のために徴収するものであるから主体はそういう意味では国家の側にある。ヨーロッパの議会制度がこの国王側からの課税について議論し、同意しなければ徴収できないという「課税同意見」から発達したということから取られる側、つまり社会の側からの発想になるわけだが、取る側の発想というのも考えないと税の全体像は掴めないなと改めて思った。ただ、取る側ばかりの立場に立つと取られる側の感情がわからなくなるから革命が起こったり自民党税制調査会が攻撃されたりすることになるわけで、どちらのサイドにも立てなければ税制度というものはうまくいかない。そういう意味で言えば税制というのは政治の一丁目一番地みたいなものだなと改めて思った。

国民民主党の議論が支持されたのは、取られる側の立場としてどう感じているのか、またここはおかしいんじゃないか(ガソリン暫定税率の恒久化している実態)とか現役世代の負担が重すぎるから課税最低限の額を引き上げるべきだとか、従来の単なる政府攻撃を超えた具体的な是々非々論が国民の心を捉えたわけで、だから取られる側の立場に立つだけでなくて取る側のことも考えつつやれるところが評価されたわけだから、ようやく日本にも政治が成立してきたなという感じはあった。

内容はまだパラパラ見ただけだが、鎌倉時代の税制論からどうしたら鎌倉幕府が生き残れたかということについて分析していて、安達泰盛が提案した弘安徳政が成功していたら可能だったのではという分析が興味深かったが、これは霜月騒動によって安達一族が討ち取られたために頓挫しているということでその角度からこの時代を見たことがなかったので面白いなと思った。

また室町幕府の収入源は足利氏の直轄領は鎌倉幕府に比べてかなり少ないので収入を多様化させ、特に土倉や酒屋にかける土倉役・酒屋役という金融業者への課税が大きくなったが、土倉や酒屋に対して徳政一揆がかけられると課税もできなくなる、というメカニズムがなるほどと思い、治安維持能力が財政的にも政権維持の決め手だったから能力が失われると没落した、というのはわかりやすいと思った。

律令以前の大和政権の財政基盤は屯倉と呼ばれる直轄領に支えられていて、豪族たちにも貢納を要求していたがそれは服属儀礼としての側面の方が強かった、という指摘もなるほどと思ったが、この辺りの古代土地制度史みたいなものの現代の研究状況は自分が捉えきれてないなとも思った。

色々と興味深いのでこちらも読んでいきたいと思う。

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そう言えばこういうのが「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」で言っている「アーティスト・デート」ということだなと思いながら、一冊だけ買って地下鉄で帰り、帰りは駅から歩いた。割と暖かくて少し汗ばむくらいなのは、日曜日と同じだった。家に帰って片付けを始め、洗濯ものを干したり洗い物をしたりゴミをまとめたり。そろそろアンプの修理にも手をつけなければと思うのだが考えるだけで色々大変なので次回に回す。荷物を運んだりゴミを捨てたりして駐車場を出たのは結局もう暗くなり始めた4時半になった。これは道が混むなと思う。

近くのローソン併設のスタンドまで走って給油。ここは車が順番待ちをしていることが多いのだが、昨日は割とすんなり入れた。給油後ローソンでコーヒーとソイジョイを買って出発。首都高に乗るまでも、乗ってからもしばらくは順調で嘘みたいだなと思ったが、三宅坂の前で少し混み、代々木のあたりから本格的な渋滞になった。西新宿の合流を抜けるまではずっと混んでいて、それでも高井戸を過ぎたらだいぶ流れてきた。石川PAについたのが6時10分くらいだったから、順調なときよりはかなりかかった感じである。八王子ラーメンを食べて夕食を済ませ、途中境川PAでトイレ休憩をし、そこで朝のパンも買ってそのあとは実家までノンストップで走ってついたのは8時半ごろだったと思う。考えることがいろいろあったせいか案外眠くならなくて、ソイジョイを食べて入浴し、少しうたた寝をしたあと11時に寝床に入ったが、寝付きが少し悪かった。寝ていても夢というかいろいろな思念が起こっては消えていった感じだった。

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この文章は基本的に日記、つまり自分のための文章という意味合いが強いのだが、もちろん公開しているので読んでもらう意味はあると思って書いている。ただ、仕事としての文章というのとは違うところが多い。必要も趣味も仕事も全部ごった煮と言えばいいか。自分としてはこういうのも面白いのではないかと思って書いているのだけど、ただしっかり仕事として文章を書いたほうがいいなということも考え始め、そういう方向から今後の書き方も考えていきたいとは思っている。

自分が何が好きなのかということと自分が何をできるのかということを整理するために子供の頃から自分の好きなものと得意なもの、できるようになったことなど書き出していたら、子供の頃の自分がいかにものを作ったり書いたりするのが好きだったかとか、物語やお話や音楽が好きだったかなどを改めて思い出して、いろいろ考えたりした。大学卒業後、つまり大人になってからのことももう一度振り返って方向性を考えていけると良いかなと思っている。

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深夜に青森県東方沖でマグニチュード7クラスの地震があり、70センチほどの津波が観測され、八戸で震度6強が観測されたとのこと。夜中のことなので被害状況が明らかになるのはこれからだろうと思うが、どうか皆様ご安全に。

「ふつうの軽音部」89話感想と原作者さんの自己イメージが投影されたキャラ/ガラケーをガラケーに機種変更する/真珠湾から84年/神保町を歩く

Posted at 25/12/08

12月8日(月)晴れ

在東京。昨日は朝ブログ/noteを書いたりいろいろ片付けたり体調を確かめたりしてから出かけたが、9時すぎになった。国道をしばらく走って国道沿いのセブンに入り、ミルクティーを買う。もう少し早く出たかったのだが気になるところがないように確かめながら出かけたので少し遅くなった。高速に乗ると、もう日はそれなりに上っていたのでそんなに眩しくはなかった。体調を確かめながら走り、八ヶ岳PAでトイレ休憩。10時過ぎだったので順調に流れたという感じである。それから釈迦堂PAまで走ってお昼を買う。昨日はネギ塩カルビ弁当と、新蕎麦まんじゅうにした。それから中央道をずっと走り、藤野のPAでトイレ休憩。最近、石川までもたなくて藤野でトイレに行くことが多いのだが、そういう体調の波みたいなものは不思議なものだなと思う。そのあとは休憩なしで走ったが、目立った渋滞などもなく、順調にお昼過ぎに東京の自宅についた。

今回の帰京のメインの目的は(うちに帰るのに目的もへったくれもないのだが)新しい携帯を受け取ることだった。今まで使っていた機種(FOMA)が来年3月に使えなくなるということでギリギリまで機種変更を遅らせていたのだが、最近は電話をかけると2回に1回は接続する前に機種変更のお願いが流れるようになり、かなりうざったくなっていたので交換することにしたのである。新しい機種の無料提供(と言っても4000円くらい手数料はかかるが)がxiのガラケータイプとaquosのアンドロイドが提示されていたので、xiのDIGNO KY-42Cの方にした。今調べたら京セラの機種のようなので(KYとは京セラの略かと合点)国内製品ということだろうか。

いつ届くかわからなかったので無料提供が提示してあったもらった郵便物の問い合わせ窓口に電話して聞いてみたら、土曜日に届くとのことだったので、土曜日はいないから郵便局の不在通知があるだろうということだったわけである。家に帰ってみると郵便物の差し入れ口に不在通知が入っていたので一安心。ご飯を食べて少し休憩してから出かけることにしたのだが、ちょっとずるずるとネットを見たりして少し遅くなった。

出かけた正確な時間は思い出せないが、1時半と2時の間に出かけて郵便局まで歩く。今Googleマップで調べると2キロ弱、徒歩29分とあるが、そんなにはかからなかったと思う。行きは線路沿いをずっと歩いて橋を渡り、路面電車の軌道跡の緑道公園を歩いた。よく晴れていて割といい感じだった。郵便局前に昔はダイエーがあったのだが、取り壊されて工事していたのだけど、昨日行ったら新しい建物が建っていて、1階はイオンになっていた。郵便局で小さめの段ボール箱を受け取り、ノジマ電気のエコバッグに入れて、イオンに行ってみた。新しいからか便利な場所だからか随分混雑していたが、夕食の鮭の西京焼き弁当と中華桃饅頭(饅頭ばかり買ってるな)、朝食用のアップルパイと牛乳とカットサラダ、それにインスタント味噌汁を買った。帰りはバスに乗ったが、駅前の停留所が二箇所で行き先が違うのを忘れていてどちらだったかわからず困ったが、結局正しい方に並んでいたようで良かった。この時間のこの路線のバスに乗ることはあまりないのだけど、思わぬところで結構降りたりしてなんだか発見があった。

家に帰ってきて段ボール箱を開けると半分は上底になっていて、開通のための案内と携帯本体の箱、それにUIMカードが入っていた。久々に取説を見ながら本体にカードを入れ、電池を装着して起動させる。開通の案内に書いてあった電話番号に電話し、ネットワーク暗証番号を入力。これが不確かだったのだが、問い合わせの電話をしたときにも入力させられて、1回失敗して2回目で正解だったので、今回はスムーズに行った。で、開通自体はほぼ順調に言ったのだが初期設定が面倒でまだやり終えていないところがあるので、時間のあるときにやろうと思った。

ただ困ったなと思ったのが電話帳が自動では移し替えられていないことで、ネットで調べてみたらドコモの店舗に行けばセルフで移し替えられる機械が置いてあるということがわかったので街に出かけるついでに駅前のドコモに寄ることにした。出かけたのはもう夕方になっていたが、散歩にはいい日和だなと思った。ドコモで聞いてみるとセルフの機械が壁際に置いてあり、自分の使っていた携帯と新しい携帯の両方がちゃんと使える機械であることがわかったので自分でいろいろやってみたのだが、最初はよくわからず店員に聞いてみると、設定するために押すボタンが違うことがわかった。店員についてもらってやるなら順番待ちして料金もかかるということだったので、逆に言えば自分でやれば無料なんだなと理解。そのあとはいろいろ試行錯誤もあったが無事電話帳と画像をコピーすることができた。

メール設定などもしないといけないのだが今携帯メールはスパムの山になっているのであまりやる気がしないので、時間があるときにやろうと思う。とりあえず帰京の目的はこれで達成できたことにした。

なんかだらだらと書いてきたがこれから3G(FOMA)から新しい機種に乗り換える人もいると思うので参考までに。私が今まで使っていたガラケーの機種はSH-07Fという佐藤可士和デザインのもので、かなり愛着があったのでずっと拘っていたのだけど、使えなくなるのでは仕方ない。最近はもうスマホがメインだからどれもみな同じデザインになってしまうし、個性を出そうとするとデコるみたいな感じになるから、引き算の美学で楽しむことができない。スマホも便利ではあるが「自分の持ち物」として気に入るための要素は初期の「他の人が持ってない」という時期を過ぎてしまえばあまり面白いものでもない。今回取り替えたガラケーもデザインとしてはごく普通なわけで、それはもう世の中の主流ではないからデザインにお金をかけてもらえないということでもあるだろうし、まあ仕方ないなとは思う。世の中の流れは必ずしも自分の思う良い方向には行かない。

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地下鉄に乗って神保町に出て、夜の街を歩く。まだ開いていると思って入った画材屋のカフェが、閉店時間が今日だけ早いということで結局お茶をできなかった。東京堂で少し本を見たが、欲しいものはもう買ってあるという感じ。書泉グランデに行ってマンガも見たが、こちらも特に買うものがない。階段に貼ってある「織田ちゃんと明智くん」と「これ描いて死ね」の複製?原稿が上手いな、綺麗だなと思って拝見したのだが、この2作品は結構このお店としての推しなんだなと思う。この壁の展示は割と新しい作品を知る手がかりの一つでもあって、「見える子ちゃん」に関心を持ったのもここに貼ってあったポスターがきっかけだった。第1巻が出て少し経っていて、店員さんに聞いたら売り切れているとのことだったので、余計読みたくなったという感じだった。などということを思い出したり。

結局今回は何も買わずに帰る。以前は靖国通り沿いにディスクユニオンがあったのでそこで廉価のLPを買って帰るのが一つ習慣だったのだが、ディスクユニオンもなくなり家のアンプも故障していてレコードを聞けないので、今は携帯用スピーカーでiPhoneからBluetoothを飛ばして聞いているのだが、やはりちゃんとしたアンプの音とは違うしレコードが聴けないのは残念である。早く直せばいいのだけど。

家に帰ってイオンで買った西京焼き弁当を食べ、ソファで横になったらすぐ寝てしまい、着替えるだけ着替えて布団を敷いて寝た。

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12月8日といえば真珠湾攻撃から84年経ったわけだが、中国がいろいろなんか言ってるので第二次世界大戦を思い出す機会は結構多いわけである。まあ中国としてはそのことでアメリカに往時を思い出させ、「日本が敵だった」ことを思い出させて日米を分断しようとしているわけだから、そういう挑発にあまり乗らないようにしないといけないだろう。日中戦争というものは実際に何があったかで当然ながら議論されるわけだけど、それよりは当初の目標というか狙いと現実、実現できたもののズレみたいなものをもっと検討すべきだろうと思う。

そのズレがなぜ起こったかということの理由はもちろん日本側の様々な国家体制の不備であるとか陸軍内部の問題もあるが、中国側に対して日本が研究不足だったところが大きいのではないかと思う。これはもちろんアメリカに対してもそうで、日本側の思い込みみたいなものがアメリカに対しても中国に対しても当てが外れた、というところに結構大きな問題があるように思う。

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これは昨日書いた「たとえば「自由」はリバティか」に取り上げられているような認識のズレとも多分関係してくる。そして外交側が軍事に疎く、軍人の側が外交に疎すぎる、というのもまた問題だったのだろうと思う。現在その辺がどうなのかはわからないが、軍事の側は外交を研究すべきだし、外交の側も軍事をもっと研究すべきだろう。その上で不必要な口出しをしないことは難しいことかもしれないのだが。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912579003221

「ふつうの軽音部」89話「春浅き日々に泣く」。内容に触れているので気になる方は上記のリンクより先に本編をお読みください。

水尾・純・レイハの過去編から現在に戻り、レイハのライブの直前のホールと、動揺する水尾が出られないプロトコルのメンバーたちの話し合いの場面。

水尾たち3人の関係は、こういうことってあるだろうなという展開で、レイハが性格を拗らせた経緯が納得のいく感じで描かれていて、レイハも気の毒だったんだなということがよくわかる。また先週、「3人で(水尾抜きで)演奏する」と宣言した鷹見だが、遠野と田口に反対されて鷹見が仏頂面をしている。それを影で聞いている鶴先輩の存在が不穏だし、また彩目もホールに戻ってきていないことがわかり、コメント欄では「これは彩目が代わりに演奏して旧プロトコルが1回だけ復活するのでは!」と盛り上がっているのだが、はてさてどうなるか。彩目は79話で七道高校には因縁のある人がいそうなことが暗示されていたのでその辺に引っかかっているのではないかと思うのだが、そこから旧プロトコルに話がつながるか、展開は予断を許さない。

昨日読んだ「ふつうの軽音部」の感想でこういうnoteがあった。

https://note.com/fond_violet2987/n/n94b06aef7353

冒頭で「BECKとかブルージャイアントと比べる漫画じゃないのよ、世にはそういう音楽漫画と比べて腐する意見あるけどさ これはドロドロの青春のわだかまった感情の発露を特定の世代にびたりとハマる曲の歌詞に合わせてエモくなる漫画」と表明していて、これは確かにその通りだなと思った。

軽音部のバンドのマンガだから当然音楽的な巧拙の描写もあるのだけど、基本的には「難しい曲を弾いてるから上手い」とか「頑張って難しいフレーズを弾いている」という感じの描写で、演奏の描写にめっちゃ深みがある、という方向に深められている作品ではなくて、「高校軽音部という青春」を群像的に描き出す作品だというのが正しい捉え方だなとは思う。

原作者のクワハリさんは高校教師として軽音部の顧問をやっていた経験があり、大規模軽音部で繰り広げられる様々な出来事からインスパイアされてこの作品を書いているとのインタビューがあった。インキャで癖のある声ながら人を動かす力を持っている歌声の主人公・鳩野ちひろに、その歌声に神を見たバンド仲間・神山凛の策略もあるけれども、結局は鳩野の歌声の魅力でドラマーの内田桃やギターの藤井彩目が参加して結成されたバンド・はーとぶれいく。このメンバーを中心に、彼女らの背負っている過去や生きている現在について話が展開し、最初は大失敗したライブ演奏も文化祭で彼らなりの成功を収め、ハロウィンライブでライバルバンド・プロトコルともいい勝負に持ち込み、また新たに鶴亜沙加という策略キャラが加わって、吹奏楽部の顧問・指川と鳩野のダブルボーカルが実現し、新しい局面を切り開く。

そんな中で鳩野の過去だけでなく内田桃・藤井彩目・先輩の新田たまき・ライバルバンドの鷹見項希らの過去が語られていくのだが、それぞれが青春の傷跡を引きずっているのだけど、彼らのわだかまりが鳩野の歌声によって昇華されていくのがこのマンガの読みどころということになるだろう。

現在の水尾・レイハの過去編からの延長で、今回のライブで彼らが鳩野の歌声で救われるのかはわかりにくい展開になっているのだけど、クワハリさんの深謀遠慮を考えるときっと思いがけない展開で彼らも救われていくのだろうと思う。

で、クワハリさんの一つ一つの描写の「あるある」度合いがすごいのだけど、これは彼自身の青春時代の経験や教師として向き合ってきた子どもたち、あるいはさまざまな読んできた作品の中から出てきた話なのだろうと思う。キャラクターの設定としては陰キャの鳩野に陽キャの桃、彼女らを動かすために設定された策略家の厘、「桃」に対比される彩目(あやめ)(桃の節句と端午の節句だろう)という感じで設定されていて、主人公が鳩でライバルが鷹、先輩が鶴、と主要キャラを鳥で固めてきたりと工夫があるが、陽キャだけどAセクだったり、憧れの先輩だけど同性愛者だったり、部員の中にも外国にルーツがあるらしきメンバーが何人もいたりと、多様性も表現されているので変に左翼ウケが良いのはちょっと問題なのだが、そういうものも含めて「ふつう」の軽音部なんだ、という主張がはっきりしているのは良いなと思う。

で、大人キャラもぼーっとした軽音部顧問の丸太、ちょっと意地悪な吹奏楽部顧問の指川、鳩野に音楽で影響を与えた元バンドマンの自信がない父親(離婚して離れて住んでいる)など、さまざまで、私は丸太や父親がクワハリさんが自己を投影したキャラなのではないかと思っていたのだが、こうした多様な青春群像を熱意を込めて描き出すことができる凄さを見ていると、実は作中で厘の上をいく策略家であり、青春の多様差に異常な熱意を込めて自ら演出さえしようとする鶴先輩が、クワハリさん自身の自己イメージなのではないかという気がしてきたのである。

私はこの作品についての作者さんたちのインタビューなどはほぼ読んでいると思うのだが、鶴についてコメントしたものはまだ読んでないので、またインタビューされる機会があったら、インタビュアーには是非その辺りのところを聞いてもらいたいなと思うのだった。


「権利=正義」という概念の手強さと中国が非難される理由:「たとえば「自由」はリバティか」を読んでいる/年末の忙しさ

Posted at 25/12/07

12月7日(日)薄曇り

水曜日にタイヤ交換をしガソリンを入れに行って、木曜日に整体で松本へ、金曜日にも病院で母を松本に連れて行って、昨日はクリーニングを出しに行ってタイヤの増し締めをしてもらったり、とりあえずやろうと思ったことはやっているが、年末の仕事はあと年賀状を書くこととお歳暮を配ることがあり、あとは人に依頼している仕事と、今日は東京の自宅に新しい携帯が届いているはずなのでそれを取りにいくこと、などがある。

新しい携帯というのは、私が使っているガラケーが3Gなので期限が切れると使えなくなるから、新しい機種に交換したのが届くということである。最近はしばらくの間電話をかけるたびに2回に1回の割合でNTTドコモからのメッセージが流れるという異様に使いにくい状態になっていたし、かなり前からモバイルSuica機能も使えなくなっていたりと交換する理由は結構あったのだがいろいろと面倒だったので交換しないでいた。交換したと言ってもxi機種なのでまたしばらくしたら使えなくなる可能性もあるが、まあ折り畳みガラケーという伝統機種をもうしばらく使おうとは思っている。嵩張らないのがいい。

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「たとえば自由はリバティか」はやはり考えさせられることが多い。なんというか、原語(西ヨーロッパ語)と翻訳語のズレという割とニッチな話題だと思って読み始めたのだけど、かなり本質的な問題が多いということが読みながらわかってきた。私は西洋史を専攻していたのだが、最終的に、文献や研究書を読んでいても彼らの価値観が結局あまりよくわからないという感じになり、これは無理かなあと思ったのが大学での研究を修士課程までで続けなかった理由の一つなのだけど、この本を読んでいて彼我の考え方の違いのようなものがだいぶはっきりわかってきた感じがある。

自由という概念は「奴隷でないこと」が中心的なもので最も重要だ、という話からこの本は始まるわけだけど、日本語にもともとある「自由気まま」とか「囚われなく自由自在」「思い通りになる」「カラスの勝手でしょ」という意味とは大きく離れるわけで、つまり西欧的な意味で「自由であること」というのは「高貴であること」、という意味が伴い、つまりは「奴隷的状態にある人に対する蔑視」が含まれている貴族主義的、もっと言えば差別主義的なニュアンスさえあるわけである。「高貴な貴族主義」も「偏見なく人と接することができる」みたいな平等的視点が入っていたら多少鼻持ちならなくてもまだいいが、「奴隷や元奴隷なんかと一緒にされない」みたいな方が強くなると自由の概念も結構扱いが難しくなる感じはあるわけである。

要するに、彼らにとって人間にとって一番大事なことが「自由であること=高貴であること」なのだということは押さえておかなければいけないということで、それはそういうふうな意味の方向に、西欧思想全体がバイアスがかかっている、ということなわけである。仏教、特に日本仏教では「草木国土悉皆成仏」であって、人間だけでなく全ての存在が仏になりうる、みたいな平等観が強く、また「諸行無常」的な意味で人間存在というのも儚いものである、というのが基本にあるから、その辺から見るとこうした「人間の高貴さ」みたいな考え方はある種の観念複合体に過ぎない、ということになるわけである。

しかし「自由という観念」に出会った時の日本人たちがそうは受け止めなかったのは、その「高貴さ」というものを理解できる人たち、つまり「武士たち」が政権や教養の中心にいた、ということが大きいだろう。彼らは「自由」という観念の重要さを正当に評価することができた、ということになる。また観念体型として公式的に認められていた朱子学の力は限定的で、より実践能力を重視し、人間一人一人の役割を重視するような「御威光=武力による支配」が貫徹していたために、その拠って立つ根拠を「将軍の軍事指揮権による与えられた役割」から「天賦人権」、「天から一人一人に与えられた自由であること」に置き換えることが可能だったということがあるのではないかと思う。

この辺はもう少し詳細に検討すべきことだとは思うけれども、自由という観念を日本人が受け入れることができたのは本書に書かれている「自由自在・自由気ままという観念の魅力」だけではないだろうと思う。歴史的経緯の中で発達した日本社会における人間というものに対する考え方に、こうした西欧思想に対する親和性がもともとビルトインされていた部分があったのだろうと思う。それが偶然なのか、ある種の並行進化なのかはまだ結論は出せないが、よく言われるように近代化の段階で全く異種の文明体系の諸国諸民族のうち、日本だけがその初期に大きな成功を収めたことの理由はその辺りにあると思う。資本主義化の成功については前近代にかなりの発達があったからということは以前からよく言われているけれども、政治の西欧近代化の成功についても、そういう部分はあったのだろうと思う。

で、自由のところを読み終えて二つ目の「権利」のところを読んでいるわけだが、これもまたかなり手強い。私は権利とは「やっていいこと(やらなくてもいい)」であり義務とは「やらなければいけないこと」である、というくらいの理解だったから「権利」について掘り下げてしっかりと考えたことがあまりなかったことに読んでいて気が付いた。

もともと英語における権利=right、フランス語におけるdroitに「正しい」「正義」という意味があることは理解はしていたが、それが「権利」という概念とどう関係があるのかはなんというか考えるのが面倒くさいと思っていた部分があるなと思った。この本では、日本語で「権利」と訳されているrightの本来の意味は、「法的あるいは道徳的に正当な要求」ということだと解説されている。つまり「権利の要求」には本来「正当な正義の実現の主張」という部分が含まれているということになる。

しかしまあ、ここで「正義」が絡んでくると、ややこしくなる部分がある。つまり、「何が正義かは人それぞれ」という部分が出てくるからである。この本でその議論を回避しようとしているのは、その正義というのは人それぞれの「信念としての正義」ではなく、「公平としての正義」、つまり日本で言えば「道理」としての正義、「筋としての正義」みたいな感じだと説明されている。その辺りを考えると、権利rightを筋(すじ)と訳すと「権利を主張すること=筋を通すこと」となり、日本語としてわりと分かりやすい感じがするなと思った。

ただ、ここでは議論は回避されているが、「人権外交」などに現れるように、「信念としての正義」と「権利」という概念は割と親和性が高いことも事実だろうと思う。「女性も人間なのだから男性と公平に扱われるべき」という主張は「公平としての正義」に属するから正当性は強く広範囲に認められると思うが、「女性は「弱い(そのほかネガティブな状況)」から権利をより多く与えられるべき」になると公平性原則から外れるので「信念としての正義」の領域に入るだろう。この辺りが混同されているからフェミニズムその他マイノリティと称する人たちの運動が批判されているのだろうと思う。

また、「権利」特に「人権」は正義であるから、それが不当に奪われたり弾圧されたりすることはあってはならないことであり、そうされたらそれを回復しようとしないことは正義ではない、ということも指摘されている。この辺りもこれが「公平としての正義」に限定されていればともかく「信念としての正義」に適用されるとかなり大変なことになるのは自明だなと思う。

私も駒場寮に住んでいた学生時代に革マル派の人と議論したことがあるが、三里塚で闘争に加わることは義務だ、みたいに主張されて行きたくないから行かない、とめちゃくちゃ反論したことがあった。彼らの主張は主張として理解はできるとは言ったが賛同できるとは言っていないのだけど理解したなら行動すべきだみたいな議論であったような気がする。まあ昔のことであるが。

現代に近い時代のことで言えば、天安門事件によって西側諸国から排除されていた中国との交渉を最初に回復したのは日本だったわけだけど、これもまた西欧諸国からは日本は「信念のない国」だと思われたのではないかという危惧はいまだに感じている。あれは明らかに国家による明確な国民に対する弾圧であって、近代国家であってはならないことだが、そうした国が国際連合で常任理事国という地位にあることは、当然ながら公平としての正義にも信念としての正義にも反することだろう。それをとりあえずは政治的協調と経済的互恵という屁理屈をつけて容認してきたのが今までの時代であったわけだが、今回の台湾有事をめぐる中国側の狂乱というのは今までのそうした国際的な対中国政策が正しかったのかどうかを疑問視させる部分はあるだろうなと思った。

まあそういう意味で、「権利」という概念は相当怖い概念だなと改めて思ったわけである。まだこの章は読んでいる途中だが、自分の中でいろいろ整理しながら読む必要があるなと思った。

***

そのほかマンガの感想についてもいろいろあるが、また改めて。今日の更新の「ふつうの軽音部」89話「春浅き日々に泣く」、かなり良かった。泣くだろこんなの。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912579003221

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