「ぼっち・ざ・ろっく」脚本家発言に対する批判とフェミニズムそのものに対する批判/外部から見たフェミニズム/笙野頼子さんの現在/「危険を感知する感覚」の育て方/「知性の構造」:日本人の議論嫌いと言霊

Posted at 25/09/17

9月17日(水)晴れ

昨日は午前中にブログを書いていたら大体潰れてしまって、昼前に銀行に行ったり西友でお昼の買い物をしたり。

長押にフックをかけてそれにちょっと着ただけのシャツなどをかけておいたりしているわけだけど、それがついいくつもになって重くなり、鋳物製のフックが壊れる、と言うことが最近何度もあって、住環境も変わってきたしこう言う商品はもうないんじゃないかと何故か思い込んでいたのだけど、昨日「いや、百円ショップとかにあるんじゃないか?」と言うことを思いついて西友に入っているseriaで聞いてみたら、「なげしフック」と言う商品名で2個110円で売ってたので二組買った。実はこれについてはずっと困っていて、壊れたら終わりだと何故か思い込んでいたので、なーんだと言う感じである。こう言う思い込みは自分には結構あるので、忘れないように書いておきたい。

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どうも最近疲れ気味で、朝も起きれないし夜も早く寝落ちしてしまうのだが、これは本を読んで頭を使っていることが大きいのだろうと思う。マンガを読む時間も減っててどこに置いたかわからなくなってる本が多くて困る。マンガはまだそんなに混乱は来してはいないが、書籍の方は本当にどこに行ったか「あったはず」と思って探してもなかなか出てこないのが多くて困る。

午後は少し会計のことをやって、時間のある時にネットを見たり牧野伸顕「松濤閑談」を読んだり。

https://x.com/KAI_YOU_ed/status/1967145440530641311

ネットでは「ぼっち・ざ・ろっく」の脚本家の記事が大炎上していて、いろいろな意見が出ていたが、「虎に翼」の脚本も書いた人らしく、その思想の偏り方や原作の表現を「ノイズ」と呼ぶなど作品に対する姿勢の傲慢さ、読者に対して安易に「加害」と言う言葉を使うなどの意識高い系特有の攻撃性などが批判されていたように思う。これはつまり例によって「制作サークル内での会話」や「意識高い系内部内での会話」みたいなものを不用意に一般大衆に晒したことによる叩かれ、炎上であるとは思ったが、構造的には歴史学者の方の内部サークルでの会話が表に出されて炎上した件と類似はしていると思った。

今回はフェミニストの側が叩かれる側になったと言うのが歴史学者の方のケースとは違うが、叩く側は状況が変われば叩かれる側になる、という因果応報という感じはあり、アメリカでもキャンセルカルチャーを仕掛けてきた左派の側が今回のチャーリー・カーク暗殺事件によって大規模に右派の側からキャンセルされているのと状況は似ている。まあ規模的には全くケチくさい規模ではあるが。

で、今回はいつもの状況と違うのは「性的搾取」とか「加害性」といったフェミニズム用語自体が批判・攻撃の対象になっているということが割と新しいというか面白いなと思い、逆に今まで表現の自由について熱心だった人でもフェミニズムの主張を一定「理解・受容」している人からは「それほど問題だろうか」という声が上がっているのも面白いと思った。

つまり、今回のケースは脚本家の傲慢さというものだけでなく、フェミニズムそのものが批判の対象になっているということなのだろうと思う。

そういうことからも、フェミニズムというものを批判するとき、内部的な文脈ではなくフェミニズム外部からの視点で批判するという言説があまり十分に行われてこなかったように思うのだけど、今後はその視点は重要になってくると思う。

フェミニズムも何期にもわたっていて構造的にも複雑になり、また様々な分派や時期による主張の違いみたいなものも出てきて、今では参政党支持に回るフェミニストも出てきているくらいだから一概には言えない部分も大きいわけだが、原則論的な部分で少し考えてみる。視点として重要なのは、「人間とはどういう存在であるか」という人間観の部分ではないかと思う。

一つのテーゼとして「人間は社会的存在である」という考えがあり、社会性において男女の置かれている状況に不公平なものがあり、その不公平さを回復する、というのがいわゆる「第一期フェミニズム」であったと考えて良いのではないか。婦人参政権や女性労働の拡大、女性が社会的に高い地位につくことの奨励、労働における賃金格差の是正、そのほか社会的権利の場面での「女性が不公平な地位に置かれていること」の是正が第一期フェミニズムの主張であったといって良いと思う。

また、もう一つのテーゼとして「人間は性的存在である」という考えがあり、性的自己実現の面において男女の置かれている状況に不公平なものがあり、それを回復する、というのが「第二期フェミニズム」であった、と言えるのではないかと思う。これは1968年革命と言われる世界的な「若者の反乱」の一環として起こってきたことで、「性と文化の革命」という形で、「性の解放」こそが正しい、ということで、近年になって高まってきたLGBTなど「人間は多様な性=ジェンダーを持つ」という主張ももともとはこの時代に萌芽を持つものだろうと思う。

これらの考え方の中でこうした男女の不公平さがもたらされた仕組みと考えられたのが「家制度」であり、「家父長制」であった。日本国憲法や戦後改訂された民法によってすでに戦前の「戸長」を中心とする家制度は解体され、「家族は夫婦とこども」を基本とする形で戸籍制度も改定されているので、この時点ですでに第一期フェミニズムの影響は日本にも入ってきていたということになる。

戦後はさらに家制度は実質的に解体に向かうが、これは産業の発達と資本主義制度、日本で言えば会社制度の発達の中で、生産の仕組みが「農家」「商家」「職人」「商家」「武士」「公家」といった「家単位」のものであったのが「家」から「個人」を引き抜いて雇用する「会社」に吸収されていくことで実質的にその生産そのものが解体・弱体化されていき、「家」の中でしか生きられなかった長い時代とは違い、「個人」で生きられるようになったという意識が人々に広がったからで、「家」というのは「伝統を守る」とか「心の拠り所」だとか「家業を守る」とかの面が強くなり、「家庭」で行われる生産的行為は「子育て」しかなくなった、ということは大きいだろう。基本的に「家」は「子育て」を除いて消費の場になったわけで、消費は必ずしも家族でやらなければならないことではないから、「家」が解体していくのはある意味必然だったのだろうと思う。

そして、前近代社会においては個人の「老後」や「障害や病苦の状況」を支えるのは「家」しかなかったから、「家の維持」は「人が生きるために最低限必要なこと」と意識されていたから、そのためにも「後継者」、つまり「子供」は「なくてはならない存在」だったわけである。その中で前近代は事故や病気など、「成長途中で死んでしまう危険」が大きかったから、「経済状況その他の条件が許す限り多くの子供を産む」のは合理的な行動だったわけである。

現代ではそうした条件そのものが変化しているので「子供を産んで育てる」ことの合理性や有益性はある意味減少している。「伝統を守る」ことや「家業を守る」ことなどの意識によって子供を産み育てることが半ば義務と感じられるケースでない限り、子供は「どうしても必要」なものだと意識されなくなったから、少子化が進むのはある程度は仕方がない面はあるだろう。もちろん国家単位で考えれば若者の減少は社会を維持することの困難を増加させるわけだから、子供を産み育てることは必要なことなのだけど、全体の合理性は個人の行動を左右するには経済学的に考えても動機としては弱いので、合成の誤謬のようなことが起こっているということなのだろう。

第三期以降のフェミニズムについては私自身は合理性があるようには感じていない、まあ一期と二期でも十分人間的自然を破壊した部分があるとは思うのだが、そういう意味でもうそろそろ進歩的な姿勢から考えても必要性がないのではないかと思っていて、先に述べたように今回のケースのように「フェミニズムそのものに対する批判・非難」が出てきたことは力強いものを感じている、ということを書いておきたいと思う。

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https://x.com/y_kurihara/status/1957885740890857819

そう言えば笙野頼子さん、今どういう本を出しているのだろうと思ったらこういう本を出していた。

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この本を出している鳥影社というのは諏訪市の国道20号線沿いにある出版社でよく前を通るのだが、自費出版なども扱っている会社で当然ながら大手とは言えない。かなり追い詰められた状況なのだろうなということはよくわかる。ちょっと義憤に駆られたので読んでみようと思って紙の本の方をポチった。思想はともかく(先に書いたように私はフェミニズムに批判的なので)面白い作家さんだと思うのだが。

いや本ばかり読んだり買ったりしているな・・・

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昔の写真で、昭和の子どもたちが遊んでいる遊具がどれだけ危険だったか、みたいなことをいっているチートがあったのでその写真を探してみたのだが、多分これだったと思う。

私自身はこういう高いところに上る遊具は大好きだったので、「危険だから」という理由でこういう遊具を無くしてしまったのはかなり残念だし、子どものためにもならないと思っている。

今のこういう遊具は事故が起こった時に管理者の責任にならないように撤去されてしまっているが、私の子供の頃は落ちたら自分の責任であって、管理者の責任を問うようなことはなかったと思う。それ以前に落ちたりする子供はまずいなかったわけだが。

子どもというものは高いところが好きで、それは子供が背が低いからだと思うのだが、大人より高いところから大人を見下ろすというのは爽快感があるものである。

木登りなどもそうだが、実際には無意識のうちに子どもは自分の安全を確かめながら登っていく。物語などで登ってしまったが降りられなくなった、とこ猫みたいな描写がよくあるが、ああいうのは子供の風上にも置けないのであって、これ以上は無理と判断したら変に意地になってしまった場合などを除いて無理にそれ以上登ることはない。

実際のところ、高いから危険なのではなく、足元が危ないとか、木が折れやすいとか、滑るとか、安全が確認できないところは危ないのである。そして高いところが好きな子どもは一度や二度はそこから落ちている。

私も何度も高いところから落ちたし、穴に落ちて腕を骨折したこともある。だからと言って高いところに二度と登らないかと言えばそんなことはなく、今度は「落ちないように」登るだけなのである。その中でどうやったら安全か、どういうつかまり方なら効率よく登れるか、どういう姿勢ならたっても大丈夫か、などを自然に学んでいくわけである。

制御安全と絶対安全という言葉があるが、例えば原発などでは絶対的に安全にしないといけないと考えるなら原発を止めるしかなくなる(動かさなければ絶対に安全である)が、「よほどのことが起こらない限り制御されているから大丈夫」と考えるのが制御安全である。つまり、詳しくない人から見たら危険に見えるけれども、当人は制御されているから大丈夫だ、と考えている状態が制御安全である。木に登っている子供が自分は大丈夫だと感じているのはそういう状態だろう。

もちろん震度7の地震が来たときに木の上の不安定な場所で動いている状態だったらこれは危ないわけだが、それなら地上にいても危ないわけだ。人間はいろいろな仕事をしていく上で、「ここは少し危険だが大丈夫だろう」とある程度の危険を勘案した上でその仕事に取り組む場合がある。特に起業家などは「絶対安全」を狙っていては起業自体が無理だろう。リスクを考えてそれを承知の上でどれだけ安全にそれを実行するかが問題なのであって、この「リスクを感情的でなく客観的に捉えて対処する」というようなセンスは、もともと「どうやって木の上で安全に動くか」みたいなリスクの管理を子供の頃から感覚的に理解しているかどうかでかなり違ってくるのではないかと思う。

木の上でもそうだが、危険なのは安全性の評価を間違った時と、恐怖に駆られた時、つまり客観的な自己認識が失われてまだ起こってもいない事態に感情的に囚われてしまうことな訳である。

子供の頃は何度も命の危険を感じたことがあったが、一番怖かったのは海に行ったときに少し深めのところから浮き輪をしたまま飛び込んだ時である。浮き輪でリスク管理をするつもりだったら、つるっと滑って浮き輪がどこかへ行ってしまった。そのあとは必死である。とにかく死に物狂いで浜の方に泳いでいたら、いつの間にか砂地に腹がついて、「助かった!」と思った。周りの人は誰も気がついていなかったのでほとんど一人相撲なのだが、まあそのように子供の知恵だと危ないことは多々あるが、危険に対する原初的な感覚というのは結局は危険に直面しないとつかないのだと思う。

いろいろ考えると令和の今では難しいことは多いだろうとは思うが、子どもの感覚を鍛えるということは割と重要なことだといろいろ見るにつけ思うことではある。守るという意識ばかりでは今後の世界がどう変わっていくかもわからない中では、子どものためにはならないのではないかと思う。

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西部邁「知性の構造」第1章は「日本人はこと上げしない」、つまり言葉による議論を避ける傾向がある、ということから話を始め、「もっと議論をし、真理への仮説的探究に取り組んでいこう」という話になって、そのために「人はどのように真理から逃れようとするか」という話に持っていき、その方法が実は真理に迫る方法のヒントになっている、という論理展開は面白いと思った。

もう一つの日本人が議論を避ける傾向の理由は、真理は言葉によって表現され得ないから言葉にするのは無駄だ、という感覚があるからで、それは逆に言葉に真理が宿る、「言霊」があってそれには「真理に関する仮説」ではなく「真理自体を述べた真説」があるという感覚があり、それに対する没入を避けるために言葉を避けるという構造になっているということで、これも面白いなと思った。

この辺はなんというか「陰陽師」に出てきたような感覚で「諱」つまり「本当の名」を呼ばないという感覚と近いものがあるような感じがした。

その辺りのところをもう少し詳しく書こうと思ったが、今朝は時間がないのでまた改めて書きたい。

牧野伸顕「松濤閑談」:ポーランドを励ました日露戦争勝利と牧野の民族自決・人種差別撤廃などの理想主義への意識/多摩川の広大な扇状地だった武蔵野西部と旧石器人の人間関係の悪化

Posted at 25/09/16

9月16日(火)曇り

最近朝起きるのが遅くなっていて、大体5時を過ぎている。4時頃一度起きることも多いのだが、二度寝ができる感じなので寝てしまうのだけど、そうなるとやはり朝のうちにいろいろやっていたことが片付かなくなって、こうしてブログを書き始めるのも遅くなる感じになってしまう。

一つには、最近よく本を読んでいることが理由なのだという気がする。読むと頭が疲れるし目も疲れるのでその回復に時間がかかるということなのかなと思う。西部さんの本とかは結構気合を入れて読んで読んで考えたことも気合を入れて書いているので結構疲れるということもあるし、読んでいると他の本にも興味が出てくるのでそれも読んでしまうという感じだ。

最近は主にTwitterで教えていただいた本を読んでいて、先週大室幹雄「月瀬幻想」(中公叢書)を東京で借りたのだが、土曜日には隣町の図書館でパトリック・ブキャナン「不必要だった二つの大戦」(国書刊行会)を借り、日曜日は地元の図書館で牧野伸顕「松濤閑談」(創元社)を、昨日は隣の隣町の図書館で野口淳「武蔵野に残る旧石器人の足跡 砂川遺跡」(新泉社)を借りた。

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どれも少しずつしか読めていないが、昨日借りた砂川遺跡の本は一応全部読んだ。一応、というのは旧石器時代の編年の話とかはそんなにきちんと理解していないけれども、自分が知りたかった武蔵野西部の自然地誌的な歴史がよくわかった、ということだ。

これは全然知らなかったのだが、武蔵野西部は青梅付近を扇頂とした広大な扇状地だったということ。だからなだらかな地形が広大に続いているのだ、ということはスケールが大きくて驚いた。そして元々北東方向に流れていて、つまりは川越の方向に流れていたのが、氷河期時代の火山灰の降り積りや地形の隆起、また寒冷期に刻まれた深い谷や、比較温暖期の海の浸透などを繰り返して最終的に南西方向に流れるようになったため、北東方向への流れが名残川として残っていて、それが遺跡名になった砂川だとか柳瀬川だ、というのはすごいなと思った。

調べてみると狭山丘陵や多摩丘陵もそうして形成された地形の名残のようなのだが、今では青梅の扇頂よりも標高が高くなるなど、数万年の間にいろいろあって形成された地形であるようだ。これも別に調べたことだが、富士山や箱根火山、浅間山などの火山灰の降り積りでできた地層も氷河期のものは有機物が混じらない形で茶色い関東ローム層になり、温暖気になってからの地層は腐葉土が混じって黒くなり、黒ボク土と呼ばれる土になったというのも、いろいろ土について読んできたことの中でわかっていなかったところが確認できてよかったなと思う。

多摩川というのはそれだけのすごい水量と運搬力を持っていた河川なんだなと改めて驚いたが、武蔵野台地の中小河川もそうした名残川であったり、その湧水も遠くは多摩川上流部からの水なのかと納得が行ったり、末無し川と呼ばれる川の末が伏流になっていく砂漠のワジや黄河下流みたいな川が武蔵野にあるのかというのも面白かった。

武蔵野西部で北西に流れている川の最大のものは入間川だが、これに関しては多摩川との関係はわからなかったのだけど、青梅市のサイトを見ていたら青梅市の西南部はもちろん多摩川渓谷で多摩川水系なのだが、北東部は実は入間川水系だというのがわかってへえっと思った。市内に分水嶺があるということなのだなと。水系と下流域面積というのは基本的に下流の河川・河口で考えるから、荒川水系の柳瀬川とかいうけど期限的には多摩川の末だったり、そういう意味で言えば多摩川自体が荒川とか入間川とか別の川の上流部だった時代もあるということだろうから、なかなか河川の地理学というのは一筋縄ではいかないなと改めて思ったのだった。

あと、旧石器時代人のことで言えば、定住生活ではないので人間集団が頻繁に分裂や移動を繰り返していたが、その理由が「人間関係の悪化」だったというのがおかしかった。20000年経っても人間はあまり変わらないのだなと。定住するからいろいろと歴史的な因縁が降り積もって戦争になったりするわけで、皆が移動生活だったら確かにそんなに争いはないかもしれない。

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牧野伸顕「松濤閑談」。Amazonでブックレビューがあったのでびっくりしたが、昭和15年、牧野の曾孫である麻生太郎元首相が生まれた年、紀元2600年の著書である。出版元の創元社は小林秀雄の作品などで当てた大阪の出版社だが、そのためかのこの本の装丁が小林の友人の青山二郎になっていて、個人的にちょっと盛り上がった。

牧野は日露戦争の時にオーストリア公使でウィーンにいたが、勝利の後ポーランド系の人々にあちこちで祝福され招かれ感謝されたそうで、それらの話がかなり続いていた。日本のロシアに対する勝利がポーランドやフィンランドを励ましたという話は以前はよく聞いたが、それが当時の日本人には誇りの感情として残っていたのだなと思う。

かと言って、牧野が民族自決や人種差別撤廃に強く賛同していたかというとそういうわけでもない。パリ講和会議の時にパリでアイルランドの婦人にイギリスから独立できるようにと協力を求められたり、リベリアの黒人の男にも協力求められたという話を「ちょっとしたエピソード」として書いていて、「日本は日本としてやることで精一杯だから協力できない」と断り、特に相手にしなかったようだ。実質的にパリ講和会議の日本外交団の交渉を仕切ったと言われる牧野でさえそのくらいの認識だったというのは当時としては無理もないとは思うが、逆に言えば理想主義的な甘さはなく、国益第一に考えていたということだろう。

また、国際連盟の本部をどこに置くかという話になって小委員会で決めることになり、その委員として四大陸を代表する人で選ぼうとウィルソンが言い出し、「アジア大陸代表」で牧野が選ばれ、協議の結果ジュネーヴにした、みたいな話もなるほどと思った。やはりそういうのが「自慢」なんだなという感じではある。

ただここも、ウィルソンの理想主義に対して基本的には批判的な感じであって、「理想主義の主張が国益につながる」という考え方はまだなかったのだろうなあという感じで、そこが1920年代の外交の基本的なムードに後進国である日本がなかなかキャッチアップできなかった現実もまたあるのだろうなと思った。その辺のボタンのかけ違いというか認識不足が1920年代末から30年代にかけての「ルサンチマンに起源する主張」に日本が流されていってしまう原因にもなってしまったのだろうなという気はした。

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西部邁「知性の構造」第1章は「ことあげ」、つまり言葉による議論が日本人はあまり得意でないのは何故か、というテーマで語られているのだが、またもう一度読み直してから書きたいと思う。

西部邁「知性の構造」を読む(4):相対主義と虚無/80年代相対主義と「なんとかスタディーズ」/消費謳歌民の老齢化と政治化/虚無を回避するための薄められた近代主義

Posted at 25/09/15

9月15日(月・敬老の日)雨のち晴れ

昨日は日曜日で大体本を読んだり物を書いたりして過ごした感じ。午後になってから岡谷に出かけて本を少しみて、夕食の買い物をした。コーヒーのペーパーフィルターが切れていたのと米がもう少しで終わりそうなのでそれも買った。少し離れた隣の書店の駐車場に車を止めたので、ちょっと運ぶのが重かった。

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昨日は西部邁「知性の構造」で感じた現代と書かれた時のギャップ、30年くらいの間の世の中の変化について書いたのだけど、読書自体は第4章「解釈学の歩み」の途中、88/286ページまで進んでいる。この章ではそれぞれの学問の基礎になる「基礎学」構築の試みとして「仮説」を作るまでの過程について哲学的な考察を行なっている感じで、この辺りのところは川喜田二郎「発想法」などの過程、「KJ法」の「状況把握」や「本質追求」についてのあたりを思い出しながら読んでいた。

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考えてみると、KJ法で言う「状況把握」とは「状況についての仮説」であり、「本質把握」は「本質についての仮説」であるのだよなと思う。そしてその仮説の「発想」の仕方をシステム化するのがKJ法だと言えるわけだけど、そうした作業論ではなく哲学的考察で話が進んでいくので読んでいてちょっと大変だなとは思う。これを再度現場で使えるようにブレイクダウンするのはさらに大変な気はするのだが。ただそう言う哲学的な意味づけと言うのはKJ法でもあまり進んでいなかったから、勉強になるんじゃないかと思いながら読んでいる感じである。

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で、中断していた序章第4節「虚無主義の猖獗」に戻る。

知識人が虚無に陥りがちな理由は知識そのものの中に内包されていて、それは「相対主義」であるという話である。

これは私が1980年代に学生時代を送ったのでよくわかるのだが、「絶対的なものはこの世に存在しない」と言う言説が溢れていた。これはいわゆるポストモダニズム、ニューアカデミズムの一つの影響の表れだったと思うけれども、方法論として「比較なんとか学」みたいなのが流行っていたのもそのせいだろう。「一億総中流」が実現したと考えられ、労働者の待遇改善はほぼはたされたと考えられて、誰もが考えるべき重要なテーマというものが相対化されていった価値相対主義の時代だったと思う。

その中から出てきたのがマイノリティの問題、つまり社会全体は豊かになっても取り残された人たちがいる、というのが一つの新しいテーマで、フェミニズムや多文化主義、カルチュラルセントリズム(自文化中心主義、特に西欧文明)批判、環境問題といった方向に知識人や学生の関心がバラけていって、より大きな「労働者の解放」というような問題、「大きな物語」が無効化されていった時代ということである。

昭和元禄という言葉はもう言い古されていて、「大学生がマンガを読んでいる」と驚きの目で見られる時代もすでにすぎ、小綺麗でブルジョア的なハマトラやニュートラ、あるいはデザイナーズブランドが流行って、一方でヤンキー文化の方向では竹の子族やなめ猫、ツッパリブームみたいなのが起こり始めた頃である。若者の間の消費文化が旺盛になってきて、それがだんだん上の世代にも伝わり、不動産バブルなどにつながっていく段階だった。

だから大きくいってそれまでは日本の貧しさを克服する、つまり「生産」が重視されていたところから、より豊かな生活をする、つまり「消費」が脚光を浴びるようになった時代であり、「不思議、大好き」の糸井重里などのコピーライターが花形の職業にみなされたり、いわゆるセゾン文化と言われる美術展や企業メセナが盛んになり、文化的にも日本でも最先端のものが見られる、という雰囲気が出てきた時代だった。ゴッホの「ひまわり」を50億円で買うなど、どちらかというと成金的に、つまりちょうど今の中国のような感じに日本が見られていた時代である。

この時代における「価値」とは何か、絶対的なものとは何か、というのはだんだん不分明になってきていて、つまりは「食べること」という「最優先」が「あまり心配しなくていいこと」になってきたというのが大きいということになるだろう。

そうなってくると「あの価値」と「この価値」のどちらがより重要か、ということがはっきりしなくなるわけで、つまり行き着くところはつまりは「すべての価値は相対的なもの」という考え方になる。結局自分なども「絶対的な価値がないならより面白さを感じる方を取ろう」と思い、天文学と歴史学に絞ったがいろいろ考えてより面白いと思われた歴史学を専攻したので、まさに時代の子だったよなあと思う。

まあ実際にやってみたら歴史学というものは歴史小説や物語とは全然違うということがわかるわけで、これは今でもそのギャップに苦しむ人は多いと思うが、「歴史上の推しを作る」とか様々な補助線を引いて歴史研究を続けている人は多い。だから寄生地主制の問題を明らかにするために土地制度の歴史を深く研究する、とか天皇中心の日本の歴史を明らかにする、みたいな古くからの歴史研究者とは全く肌合いが違う人たちが大勢歴史学に入ってくることになったのだろう。

まあそれはともかく、相対主義というものは「絶対的な価値を持つものはない」ということだから、当然ながら自分が研究しているものの価値も絶対的なものではないわけで、そうなると面白くてやっているうちはいいがふと我に返ってみると自分は何をやっているのだろうということになり、特に研究に失敗したり研究室の中での生き残り争いに負けてはみ出したりしてしまうと自分のやってきたことは何の価値もなかった、という感じになりやすく、虚無主義の底なし沼に沈んでしまうことになるわけである。

しかし、当然ながらやっているうちに自分のやっていることの意義を感じ始めることもあるわけで、逆にうまく行きすぎるとその価値観を絶対化していくという別の陥穽に嵌ることにもなる。フェミニズムや多文化主義などの研究は、「意義」についての言説には事欠かないから、それらに励まされてそれに従事しているうちに引き返せないところまで行ってしまう、というようなものである気はする。

だからこのレベルでの相対主義の陥穽というのは実はそんなに深いものではなくて、若者らしい進路の逍遥の一環であり、「人生不可解」と言って華厳の滝に身を投げた時代からそんなに変わらないレベルのものであるとも言える。

またより実用的なレベルでの学問や実務をやっていたら、自分の仕事が人の役に立ったり逆にいけすかない人に利用されたりなどしているうちに自分の仕事の意義はこういうことだ、と決めてそれに専念したり、逆に仕事は仕事、生活は生活と割り切って深く考えるのをやめたりすることになるわけである。

学問的にいえば自分の仕事の価値についても、この方面から見ると価値は見出しにくいがこの方面から見たらこういう価値があるとか、つまり相対化の仕方がいく通りも出てくるわけで、いくつかの相対化の仕方を実際にやっているうちに、ある意味での絶対的な価値が見えてくる、ということもあるわけである。

知識人のやり方としては、状況が変化したときに状況に応じた相対化の仕方をするというのがある、と西部さんはいう。「面白ければ良い」という価値観が支配的であるなら状況の「パロディ化」によって既存の価値を相対化して見せて感心されたり(つまらない風刺マンガがいまだにあるのはその残像だろう)、グローバル化が進んでいると見ればコスモポリタニズム的な価値観を提示して「地球市民」みたいなことを言い出して見せたりすればいい、というわけである。どちらも滑稽な形で今も残存する現象ではある。

で、そういうことをしているうちに状況が変われば相対化の仕方も変わっていくわけであり、そうなると以前は消費税反対と言っていたのがいつの間にか財政規律が大事だから消費税は不可欠の財源だ、と言い出したりするようになるような感じで「一貫性」や「整合性」が失われていく。当時の政治状況で言えば民主党(当時の名前は忘れた)に右派の議員が奪われて弱体化した社会党が自民党と連立するという政治的ウルトラCをやってのけ、昨日まで自衛隊を違憲と言っていたのが合憲というようにするのと引き換えに村山社会党委員長が総理大臣になるというような現象が起こっていたわけである。

権力というものはそういうものだと言って仕舞えばそれまでだが、政治家ならともかく本来真理を追求するはずの学者としてはいかにもみっともない。だからそのように醜態を晒さないで済むようにするために、「平和主義と民主主義」とか「進歩主義とヒューマニズム」という近代に一貫する価値観に迎合する形で整合性を取ろうとする、と西部さんはいうわけである。

これは我々の世代からすると、自分のようにある程度政治思想とかについて考えていた人間がさまざまな契機で保守や右派の思想を持つようにだんだんなっていくという思想的変遷を持つことが多いのに対して、ずっとノンポリを自称し消費文化を楽しんできたような人に限って、60近くになって自分の人生の意義について考えてしまい、つまりは虚無に直面して、急に政治的な行動を始めたりすると先祖返りしたような平和主義・民主主義・ヒューマニズムなどを言い出す人が多い、という現象にも通じるものがあるような気はする。消費を十分楽しんだはずなのに虚無に陥ると、すぐそこにある絶対性のような古ぼけた政治思想が改めて魅力的に見えるということなのだろう。まあこれはそっちに嵌る人が多いというだけで、動画を見続けていたと思ったら急に陰謀史観を語り始める「親世代のネトウヨ化問題」とかになる場合もある。これはどちらにしても、20代から50代の長い期間にそうした思想についてほとんど考えてこなかった人に起こる現象であるようには思う。

ただそういうふうに、知識人はそういう「微温的な絶対」、西部さんがいう言い方で言えば「薄められた思想」にハマりがちではあるのだが、知識人が振り回す相対化の刃は、「規制の知性を破壊するのが進歩であるというムード」を社会に広める、というのはそうだよなあと思った。だから「とにかくなんでもいいから批判すれば賢い」みたいな形になり、「信念なき疑念、秩序なき自由、総合なき分析」が罷り通るということになる。これは今のTwitterのレスバを見ていれば状況は変わってないということは理解されると思う。

こういう「レスバのためのレスバ」というのは確実にやっている人の足元を削っていくので、自分が何に拠って立っていたのか、というか相対主義をやっていても根拠が必要になってくるので、それを持てないと自分のやっていることの意味も見えなくなる。また、マスメディアというものは元々「権力批判」こそが価値であるので、「マスコミ以外」を全て批判するようになり、その相手がいなくなればその相手を捏造するようになる、というわけである。「安倍しね」みたいな現象が起こったのも、一つにはメディアのこうした性質によるものだろうと思う。そしてそこでの知識人の役割は簡単に言えばメディアの提灯持ちであり、ヤスパースのいう「粉飾の言葉」によってメディアを援護し、「叛逆の言葉」に拠ってメディア以外の全てに反逆する、というわけである。

で、ここまで西部さんは「知識人の置かれている絶望的な状況」について語ってきたのだが、そこから「こうした絶望的な状況、知識人の置かれている精神の病理」から知識人、つまり自分自身を救い出すために、この病理と健康の構造を明らかにするための論を展開する、という論の展開になっている。

で、ここからが「知性とはどういう構造を持つか」という本論に入っていくわけだけど、この序論の部分は西部さんの知識の置かれている現状認識について語っているわけで、これは今まで私が書いてきたように、この本が書かれた当時と現在とでは状況はかなり異なっているようには思う。

本論を読んでいくと、この序論=前提が本当に必要だったのかよくわからないところもあるのだけど、それはまだ途中までしか読んでないからかもしれない。

で、これはちょっと言い訳がましい言い方になっているのだけど、その論の展開は言語だけでやるとかえってわかりにくくなるので、図解的な表現を使ってやりたい、ということを言っている。ここに羞恥をのぞかせるのがつまりは言語によって全てを語るべきという信条がある人文学者としての矜持が言わせているのだろうなと思うけれども、後で出てくる図像の使い方も言わば比喩的なものなので、言葉で語りきれないという点に恥ずかしさを覚える必要もないのではないかと思うのだけど、逆に言えば西部さんはそういう人なんだなとは思った。

ということでここまででようやく24/286ページである。先は長い。

また蛇足だが、私はこういう「本の要約」というのが苦手で、大学院時代も300ページくらいのペーパーバックの報告をするのに2時間くらいかかったことがある。つまり何が大事で何が大事でないかを取捨選択するのが下手だということなのだが、他の院生のレポートを聞いてると逆にこの本を読むことに何の意味があるのかわからないようなレポートが多くて、どちらがいいのかということは思ったりした。

これはつまり、どこまでが共通言語であるのか、共通認識であるのかが自分でその場で掴めなかったということもあって、ロシア史の先生のところでフランス革命についての本を報告する難しさみたいなものを感じたことでもあった。まあ自分の理解度の問題もかなりあるので勉強が足りなかったということではあるのだけど。

しかし研究書というのは当たり前だが読んでいて発見が多い。その発見を見逃したくない、残らず報告したいという気持ちが私には強いんだろうなというふうには今考えていて思った。30年前の反省であるが。

西部邁氏が主敵と考えたマスメディアは凋落し、もはや知識人の主敵ではない/左右の分断を修復する言語を構築するためには、安倍元首相の路線を穏健中道リベラルと認める必要がある

Posted at 25/09/14

9月14日(日)曇り

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昨日は西部邁「知性の構造」を読みながらノートをまとめていたのだが、どうも自分の感覚にしっくりこないところがあって、今朝になってからもなかなかそのまとめについて書き出せないところがあったのだが、思い当たったところがあったのでその辺りについて今日は書いてみたいと思う。

西部邁「知性の構造」を読んでいて思ったのは西部さんは「主敵」をマスメディアだと捉えているのだな、と言うこと。もっと言えば、マスメディアとそれに操作される世論とそれに取り込まれた似非知識人たちが主敵だ、とも言えるが。しかしこれが書かれた1996年にはそうだったかもしれないが、今はもう違うのではないか。

マスメディアは「マスゴミ」と言われながらもしぶとく生き残ってきたが、ジャニーズ等が問題になるようになり、ネット、特にSNSと動画サイトの隆盛によって「オールドメディア」の地位に転落した。新聞、雑誌が転落してもテレビは安泰だと思っていた人たちにはショックだろう。

これは報道での問題が指摘されたことよりもはるかに深刻な問題で、つまりは稼ぎ頭だった芸能バラエティ的なものが大激震を受けたということなわけである。フジテレビが長期に渡りコマーシャルが放映できなかったことで、「テレビCMこそが最も有効な宣伝手段だ」という認識は大きく傷つけられた。それらの資金の多くはネットに流れただろうと思われる。

ジャニーズ問題は、結局は「芸能界は治外法権」という江戸時代以来の感覚、つまり「芸能人は河原乞食」というある種の差別感覚がついに通用しなくなったということであって、テレビ・芸能界であっても市民社会と同じ倫理が適用されなければならない、ということになったと言っていいだろう。それ自体の良し悪しは本当は別に判断しないといけない(芸術家や科学者などの特別扱いともつながるテーマであるため)のだが、その特別扱いに安住してきたテレビが国外のBBCのポリコレ的な外圧が主体となった攻撃で撃沈寸前の打撃を受けたことが大きいわけである。

これが日本国内のポリコレ的圧力であれば、「男性に対する性被害」としてテレビ側は適当に処理したと思われるのだが、国外からの正論であったために無視はできなくなった側面が大きいだろう。実際のところ、一段落した今になっても告発した元ジャニーズに対する誹謗中傷は止まないが、それについてはほとんど取り上げられない。日本国内のポリコレはフェミニズムの支配下にあるので、男性の被害については関心がないからである。

話をオールドメディア凋落の件に戻すと、すでにアメリカではかなり早くの段階からテレビよりもネット、動画サイトや特にポッドキャストなどの音声メディアの影響が強かった。これは理由はよくわからないのだけど、運転しながら聞くとかそう言うことだろうか。日本の深夜放送は勉強しながら聞く受験生とかが多かったが。

その結果FOX TVなどを除く主要メディアが継続的に左ブレしていても、トランプが2度にわたって大統領に当選するなど、メディアが世論をコントロールできなくなっているわけである。日本にしても、あれだけメディアがポリコレ化したメッセージを送っても「日本人ファースト」を動画で訴えた参政党が脅威的に支持率も得票数も伸ばしている現状がある。

それを考えると、既にオールドメディアが世論をコントロールできなくなっているのだとしたら、知識人がメディアを主敵とする理由はなくなっているのではないかと言う気はするわけである。

逆に言えば大メディアの影響力がなくなり群小の動画サイト群の影響力が上がっていると言えなくもないが、1億人のうち1%が視聴すれば100万人が見るオールドメディアと、100万PVを稼げれば大成功なネットメディアでは個別の規模が圧倒的に違うわけである。ネットは特に同じ人が何度も視聴している可能性もある。ネットメディアを敵と考えても対象は無数にあるわけだし、オールドメディアのポリコレ的な基準があるわけではないから、主張水準や倫理水準もピンからキリまであって、そこに「敵の姿」を見ようとしても明確な像は結ばないだろう。

「暫定的な敵」としてメディアを見ることの有効性はもちろん残っていないわけではない。ただそれは「封建制」とか「家父長制」とかのもう「残像」でしかないものにいつまでも突っかかってイキってる左派リベラルのような滑稽さが、そのうち出てくることは考えておいた方が良いだろうと思う。

そういうふうに考えると、これからの時代は誰も彼もが「本当の敵」が誰なのかわからなくなって、柳の影に怯えたり月に吠えたり虚像に踊らされることになる感じはある。しかしそうした敵がはっきりといない状態の方が知性や知識が社会のなかでより有効有意味な形で構築され直すチャンスはあるのかもしれないとも思う。そんな悠長なことは言ってられないという気も一方ではするのだが。

この「ネットがメディアに勝利した」と言うのはおそらくは「誰かにとっての勝利」なのだろうと思う。例えばそれはスティーブ・ジョブズなどが夢見た形なのかもしれないと思う。それは「メディアという権力」を終わらせたかもしれない。しかしそれは寿いでばかりはいられないことでもあるだろう。

それは、むしろ混乱をもたらしている面もある。西側における極端な左右の分裂などはそれだろう。

この事態を考えたとき、知識人の出番があるとしたら、例えばそれは極端に分裂した左右の間の共通言語の構築ということにあるのだろうと思うのだが、これがかなり困難になっているのは、Twitterのレスバを見ていればわかるし、レスバそのものも以前に比べてかなり成立しにくくなっている。

それは相手が何を言っているのかお互いにわかりにくくなっているからであり、話の通じないやつだ、でなんとなくエンドになることが多いように思う。価値観の共有できる部分が急速に薄くなっていると言えばいいだろうか。

そしてその隙間を縫うようにヘイトやレイシズムが左右から強まっている。ヘイトやレイシズムは右派のものだというメディアによって先入観が植え付けられているが、BLMの黒人たちによるアジア人差別なども始まってるし、ミソジニーを主張する人たちによるミサンドリーも激しい。特に強いのは、右派の影響力の強い人たちに対する言葉による、あるいは物理的な暴力だろう。日本では安倍元首相の暗殺が、アメリカではつい直前のチャーリー・カーク暗殺事件があった。

日本ではここ10年では特に安倍元首相に対するヘイトが左派の間で極めて強くなり、昔なら「石原はファシストだ」みたいなある種の比喩による攻撃だったのが「アベしね」みたいな短絡的な、それだけにより憎悪剥き出しのメッセージとして表出されるようになっていた。

これは単に左派の劣化というだけでなく、日本人全体の知性の低下ということを意味しているような気はする。右派のそれに対する反撃は抑制的だが、「日本人ファースト」のようなわかりやすいスローガンがでてきたらあっという間に浸透した。それだけ右派の憤懣も溜まっていたということではある。

https://x.com/elonmusk/status/1966936836896419942

イーロン・マスクが「彼らはカークがナチスであるから殺すのではなく、カークを殺せるようにカークはナチスだと呼ぶのだ」というツイートに「その通りだ」と同意していたが、日本はそれよりもっと非論理的に「安倍氏ね」「じゃあ殺そう」という状況になったような感じがして気持ちが悪い。

ただ知識人が左右両方の共通言語を構築しようと努力することは、当然ながら両派から攻撃される可能性はあるから、これはかなり困難な仕事だとは思う。仲裁者が一番殴られるというパターンである。こういう仲裁者には「格」と「実力」が必要なのである。1878年のベルリン会議で「誠実な仲買人」を自称したビスマルクでさえ、なんとなく力不足の感があった。

日本では、「舐められたら殺す」が原則の武士はともかく、江戸時代には庶民が大きな喧嘩を決意したときには、先に仲裁に入ってくれる人に仲裁を依頼してから喧嘩をすることが多かった。「め組の喧嘩」などでも火消し=鳶が相撲取りに喧嘩を仕掛ける前に、侠客である新門辰五郎に仲裁役を頼みに行く場面がある。

歌舞伎では一番格の高い、つまり座頭(ざがしら)が演じる立ち役(男役)の役は捌き役と言われた。揉め事を収める役である。そういうのはある種社会で生きていく上での知恵だが、そういう意識が残っていた明治政府では、日露戦争を仕掛ける前にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に仲裁役を依頼していた。それもあってロシアもアメリカの顔を立てざるを得ず、休戦に応じたという面もあったわけである。仲裁者を考えずに開戦して、不利になってからソ連に仲裁を頼もうとした近衛工作などは愚の骨頂である。

今の状況で、それだけの格のある知識人が今いるかといえば心許ない。もともと戦後の日本は「敗戦国=後進国・日本」的な価値観の左翼と「日本は本当はすごいが大きな声では言いにくい」という価値観の保守派・庶民の断絶が本来あったのだけど、ノンポリがどんどん右傾化するようになって左翼が焦っているという現状で、双方を理解できる、というようなドーンとした知識人がいるかというと、まあそういう立ち位置自身が成り立ちにくくなっているなと思う。

日本では小林秀雄のような本来は中立的な立ち位置の人が右翼保守派みたいに言われるようになってしまっていたからどうにもならない感じはある。これは生前の安倍元首相が言っていたように、「僕はアメリカに行ったらリベラルなんだよ」ということなわけで、日本では認識上の真ん中が左にずれすぎているから対話が成り立たないという面が強いのだろうと思う。

そう考えていくと、まず安倍元首相の立ち位置が中道穏健リベラルであるという認識が共有されねばならないということかもしれない。そう言ってみると、今の左派の言論の現状を見ると、左右の対立を仲裁するということがいかに困難かは理解されるのではないかとは思った。

しかし、つまりは左右和解の可能性があるとしたら、それは「安倍路線こそが中道的保守リベラル路線であって、そこからあまり遠くない距離の議論であれば左右は分裂しなくて済む」ということを左右両者が認識することだろうと思う。実際のところ、今は幅広い人々が反対し難色を示している移民受け入れなどにしても、安倍氏は必ずしも消極的ではなかった

私自身はこの路線は左にすぎて修正すべきだと考えるが、左の考え方の人でも安倍さんの政策が移民受け入れの限界だ、くらいに感じる人は多いだろうと思う。主張すべきことの一つはそういうことかなとは思った。古今の知識人たちも、そのあたりが有効な落とし所だと言ってくれるような気はする。

この辺りを踏まえた上で、「西部邁「知性の構造」を読む(4)」以下は書いていけたらと思う。


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