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塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず』

ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉

新潮社

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特急の中で塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず・上』(27)を読了。印象に残ったこといくつか。アウグストゥスが「大義名分を作り出す名人」だったという話。カエサルまでは膨張の時代だったが、アウグストゥスからは防衛の時代に入り、それをアウグストゥスは「平和=PAX」と称した、というのが最大の「大義名分」の創造であったと思うが、その結果ローマの皇帝たちは勝利により凱旋門を建造して凱旋式を行うという名誉に浴さなくなってしまった。アウグストゥスは街道や橋を整備することも祖国の防衛に資する、と言う理屈を考え出し、ローマの男にとって最大の栄誉である凱旋式を何度も挙行した、という。

これは確かに政治家にとって最大の才能の一つだ。自らの仕事を意義付けるためには大義名分ほど役に立つものはないわけで、やむを得ずやったことでもそれを大義とすることで支持を得る。小泉首相は「構造改革」を言いつづけることでそれがどんどん大義名分になっていったが、安倍首相の手法はそれとはまた異なるだろう。言葉よりも実質を先行させるスタイルが安倍氏のやり方だという気がする。そのあとで大義名分を確立すれば、そのほうが日本人好みであろうと思う。 もう一つ、ローマの郵便制度。これは広大な帝国の統治上の必要から生まれたものだが、一つの目的を完璧に遂行できるように作られたシステムは、他の目的にも転用は可能になる、という話。皇帝と将軍たちを結ぶ目的で出来た制度が、帝国内に住む人々に利用されるようになっていく。「一つの目的に徹底して完璧に作られたもの」ならば他の目的にも使える強さを持っている、と言い換えてもいいか。逆に多目的に作られたものが何に使っても中途半端になりがちなのと好対照と言っていいだろう。まずメインの目的をはっきりすることが何をやるにしても重要だということだ。(10.4.)

塩野七生『ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず・下』(28)(新潮文庫、2006)読了。上巻は街道と橋の話、下巻は水道と医療と教育の話。ローマの浴場は有名だが、われわれが現在美術館に行って鑑賞するギリシャ・ローマの彫像のかなりの数が、公衆浴場あとから発掘された品だということは少し驚いた。『ラオコーン』もそうだと言う。キリスト教の普及により裸体を晒す公衆浴場が罪悪視されるようになり、滅びたと言うのも人間の考えが変わるだけでものすごく大きな変化が起こるものだと考えさせられる。

医療に関して。ローマ人は百科全書的な気質が強く、ケルススの書いた大部の『技術論』のうち、医術論8巻が残っているという。医学の細分化というのは最近の話だと思ったが、ギリシャの時代からそれは相当信仰していたと言う話も面白かった。キケロが「具合の悪い場所ごとに違う医者を呼ばなければならない」ことを嘆き、マルティアリスは「俺の命はどの医者に預ければよいのかね」と言っているのは可笑しかった。西洋医学というものは2000年以上前からそうだったのだ。

教育に関して。中等教育のギリシャ語の学習はホメロスと三大悲劇詩人、ラテン語ではヴェルギリウスやホラティウスを学んだというからルネサンス以後のユマニズムの時代と学習内容は基本的に同じだ。高校相当の教育では主に弁論術で、キケロやカエサル、よく知らないがギリシャ弁論術ではリュシアスを学んだと言う。高等教育・研究機関の二大最高学府がアテネのアカデメイアとアレクサンドリアのムセイオンだったというのは知っていたようでしっかり自覚はしていなかった。医療も教育も私企業だったが、アカデメイアとムセイオンは国庫から助成したというのは興味深い。

医療と教育が国営化されたのはキリスト教化してからだという。「ある一つの考え方で社会は統一さるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。」という指摘は鋭い。そういう意味ではキリスト教徒も、近代国民国家も、あるいはタリバンやヒズボラもやっていることは同じなのだ。私自身が公教育に感じている無意識の疑問の根源は、こういうところにあるんだなあと思った。(10.5.)

  

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